仲の良い漁師から雑魚を分けてもらいました。
雑魚とは別名外道(ゲドウ)、狙った魚ではないもの、規格やヒレの折れ、魚種など理由は様々ですが、基本的にそれらは海に還されます。還すとは要するに港に帰る前に船から捨てるということです。
そんな食品ロスをなくしたい!貢献したい!命を粗末にしたくない!などと、ペラペラな青臭い事を言うつもりは毛頭ございません。
そもそも、海に還される魚も、山で埋められる鹿も、石油かけてボーボー燃やす産業廃棄物とは根本的に違いますし、規格外野菜のロスとも意味合いが違います。
死んだ魚は他の魚やエビやカニが綺麗さっぱり食べますし、死んだ鹿はカラスやクマや虫たちが1週間で骨だけにしてくれます。私も狩猟の時は内臓のほとんどは山に埋めますし、デカい個体の場合は1人では到底下ろせないのでロースとモモ肉だけにして他は山に還して来ますが、その事が心に引っかかることは全くありませんし、捨てずに全てを食べ尽くす事が供養になるとか、命を無駄にしたくないとかいう自己陶酔者でもありません。
これは自分で狩猟をやるようになって気がついた事です。
しかし、スーパーに肉が売ってるにも関わらず、わざわざ鉄砲で鹿を撃ち殺す事自体は未だにモヤモヤしますよ。
殺しの当事者としては殺ったからには美味しく無駄なく食べたいとは思うけれど、美味しく食べれば殺しても良いという論理にはなり得ません。
だからと言って変な義務感でさらに余計な物を作ったりして人間が介在しなくても自然のエコシステムはびくともしません。
野菜も堆肥にする事でゴミにはなりませんが、規格外野菜は育てた人の苦労と時間がイコールなので、魚やジビエとはまた事情が異なります。
狩猟採集と農耕牧畜は分けて考える必要がある。
言い換えればエコシステムとエコノミーの問題をごちゃ混ぜにしているとも言えます。
最近、食品ロス界隈が賑やかですが、この辺りをゴッチャにしてる人が多く、さらに動物愛護論もミックスされるもんだから余計にややこしくしてる気がします。
ややこしくしている原因も、生態系を皮膚感覚で感じる経験が少なくなって来ている為に何がロスで何が自然に還るのかもわからなくなって来ているというのが皮肉な昨今だなと感じます。
サイトの商品紹介文にも書きましたが、私たち使い手や食べ手が市場やスーパーでしか魚を見ない場合、こうした未活用の魚介類の存在は無かったことになってしまっている事に食料残渣の本質的な問題があると思うのです。
持論を押し付けるつもりは無いのですが、現在はあまりにも産地と消費が離れてしまった。コロナでネット通販全盛でさらに加速度的に離れています。
私もネット通販でその片棒をせっせと担いでます。
漁に出て狙った魚だけが網に掛かるわけではないというのは、誰しも少し考えればわかりますが、スーパーでツルツルの切り身パックやお刺身盛り合わせを買ってばかりいると、そういうことも忘れてしまいます。
ここに少しでも関心が向く事こそ、日本が直面しているヤバい食の問題の入口です。
料理というのは、その土地で採れる恵みを無駄なく食べるための知恵が溢れています。私はそういう料理こそ本当に美しいと思います。
このスープでリゾットを作って食べてもらい、雑魚でこんなに旨いなら、今度の休みに早起きして江ノ島の直売所に行ってみようか、俺の自慢の長竿で一本釣りに行って釣れなければ男同士でアサリ掘りに行って帰りに鶯谷あたりで逆に長竿でホラレてみようか、なんて感じてもらえればマンモスウレピーですが、別にこのスープなんか買わなくてもいいです。
このブログ読んで、GWにアサリでも取りに行って家でいろんな大きさのアサリ入った味噌汁でも作ってくれればそれで大成功。
https://tableogino.raku-uru.jp/item-detail/842546