2020年06月04日
再開ムードですけど、レストランが本格的に再開できるのはまだ先だと思ってます。
ここ最近、周りのお店が少しづつ再開してきたので、お客さんからいつやるの?って言うお問い合わせを頂くことが多くなってきました。
レストランとは何かといえば、旨い料理が目的なのではなく、
人と人が集まって飯食って楽しいね、というすごく人間の根源的な営みなんだと思います。
声のデカい常連チームと私のどうでもいい下ネタトークとか、店内のザワザワとした熱気とか、キッチンで暴れる私の怒鳴り声とか、上手く言葉にできないんですけど、そういう言葉にできないような人間の濃厚な営みってのがレストランの大切な魅力だし、私の居場所なんだと思ってますので、それが自粛だとか新しい生活様式だとかのコロナ後の価値観とは完全に矛盾します。
テーブルに衝立したり、マスクと手袋で接客したりと店側だけでなく、席を間引いてほかのお客さんととの接触を避ける事が当たり前になるならば、レストランという場の役割は終わります。
コロナの心配がないようにしようとすればするほどに無機質で味気ないお店になっていきます。
人と人とが交流するというのは、良いことも悪いこともひっくるめて交わるってことであって、だからこそ面白く奥深い。
濃密さを避けたのっぺらぼうな飲食店なんて私にはできません。
残念ですが、その時が来たら閉店しなくてはいけません。
これは私の職人としてのケジメでもあります。
納得いくモノが納得いく環境で出せないならば、やる意味が見出せないのです。
もう少しだけ世の中の動向を見ながら黙ります。
2020年06月03日
私の密着取材の仕上げに、ライターさんと一緒に生産者さん廻りしてます。
昨日は小田原の春夏秋冬、壇上さんの所に。
壇上さんとは非常に気が合うので、堆肥を貰いに行ったり、湘南ターブルでファーマーズディナーやったり仲良くしてます。
同じ歳ってのもあります。
壇上さんは私の尊敬する存在で、地域循環型養鶏と農業を実践してます。
養鶏に使う配合飼料は、自分の畑の規格外作物だけではなく、地元小田原の食品廃棄物を自家発酵させて鶏に食べさせてます。
例えば、小田原名物の蒲鉾の残渣や某羊羹屋さんの小豆の搾りかす、地元酒蔵が大吟醸作る時に削った米粉などをサイレージ化して与えます。
鶏が出す糞は自然に発酵堆肥となり、畑に有機肥料として撒いたり、私のようなモノがいただいたり。
他にも果樹園やったりして専業農家としてしっかりと経営されてます。
さすがは元銀行マン。
養鶏は卵の生産が主で、肉は私とやったイベントなどの時しか出回りません。
肉も旨いですよ。
湘南ターブルでは規格外の卵を頂いてトロトロプリンを作ってます。
卵や野菜の味が旨いのはもちろんですが、環境サイクルを考えた取り組みに賛同する部分が大きいです。
そろそろ密着も終盤になってきましたが、こんな時期に飲食の人間を書くってのはなかなかライターさんも難しいと思いますが、逆にこんな時期だからこそ、私という人間の本質が出ると思いますので、かっこ良くない所も情けないところも全部ありのままを曝け出して書いてもらおうと思ってます。
畑に行ったら、カブと大根が出るわ出るわ、間引きしなくては、ということで大量に間引きしてきました。
鶏糞堆肥、恐るべし。
去年までの完全自然栽培とは全く違う出来です。
その分、雑草の生え方も尋常じゃありません。
私みたいに広くても週に一回とかしか行けない場合の畑の考え方としては、いろんな事に余裕持たないとダメです。
タネ撒いても、雑草の方が勝ってくるので、ダメなものはサッサと諦める。成功率にこだわると精神的にやられるので、半分残ればヨシとする。
そんな感じです。
自宅の横に畑が有れば、また考え方変わりますけど、無理してストレス溜めてもダメなんで、その辺りは割り切りも必要。
差し当たりすごい量で、間引きなので小さいモノばかり。
サラダにしても辛くて食えないので、発酵させてまろやかにしましょう。
塩漬けして、昆布や干しイカやニンニクなど食品棚にあった旨味的なモノを適当にぶっ込んで発酵させます。
ポイントは砂糖を少し多めに入れること。
間引き大根は辛いので少し甘くないと食えないです。
バクテリアの栄養にもなるので発酵進みます。気温も高いので、とっとと発酵した方が腐らなくて具合良さそうです。
ちなみに、唐辛子の代わりに私が去年作って半年寝かせた赤柚子胡椒入れてます。
犬ってカクテキ食うんですかね?
キムチやカクテキは味噌と同じく嫌気性発酵なので、空気遮断しなくてはダメです。
まあ、表面カビが生えてもパパッと取れば食えますけどね。
変な話ですが、ガラス瓶は煮沸消毒しましょうとか、アルコールスプレーしましょうとかゴム手袋しましょーとか言いますけど、そんなもん必要ありません。
空気中のバクテリアとか人間の手の細菌とか必要な存在なので、下手に殺菌してバランス崩れると常温で発酵しなくなります。
キムチでも味噌でも、冷蔵保存が必須のものは発酵食品ではありません。
ただの漬物風惣菜か、ただの調味料です。
自分の畑で取れた野菜を自分の調味料で漬物作るって最高じゃないですか。
店じゃ出しませんよ。
私の手の味がするので、サザエさんにギョエーって罵られますから。
2020年06月02日
カレーライスを1から作る本です。
コメ、スパイス、野菜、そして鶏肉を自分たちで作ってみる。
お皿やスプーンも土を捏ねる所から始めます。
素晴らしいじゃないですか。
映画にもなったみたいですね。
これこそ、私が40歳過ぎてやっている事です。
私の場合は役割分担せずに全部自分でやりたいんですけどね。
料理を1から作る事で見えてくることは現代社会そのものです。
食のために必要だった時間をアウトソースして事で空いた時間を金を稼ぐ為に使う事で、物質的には豊かになるというメリットはあるものの、そうしているうちに食べると言うことの全体像が見えなくなった結果こそが現代が抱える食の問題という皮肉。
米って実際どうやって作るのかわからないし、生き物が食べ物になるということの実感もない。
実感や手応えが身体的にないから簡単に捨ててしまえます。
カレーライスを1から作るという、この1というのが大事なんです。
0ではなく1。
人間は0から食べ物を作ることはできません。必ずタネとか卵とか苗とか、既にあるものを育てることしかできません。
塩以外のものは全てです。
頭で分かっていても実際に経験としてやってみると本当に奥が深いし、知らないことが多過ぎるし、そして料理が何倍も楽しくなりました。
こんなに楽しいことがほかにあるんだろうか、とよく思うのですが、そんなことは当たり前ですよね、食べるは生きることに直結するんですから。
食べることを深く掘り下げることは生きる事を掘り下げることになるんだと、ここまでやってやっと理解しました。
2020年06月01日
この本がヤベェ。
千日回峰行です。
片道24キロの過酷なトレイルを休む事なく1000日間往復48キロ歩きます。
一旦始まれば、雪が降ろうが槍が降ろうが親が死のうが絶対にやめられません。
行者は短刀、現金5万円を携え、もしも途中で行を辞めるときは、短刀で割腹するか腰紐で首を吊るかを選べますが、ギブアップは許されません。
5万円は自分の葬儀代です。
無事に満行すれば次は四無行という、飲まない、食べない、寝ない、横にならないまま9日間で10万回お経を唱える荒行に入ります。
それが終わると塩と水を断って8000枚のお札を燃え盛る炎で焼きながら丸3日お経を唱える行に入ります。
それを無事に修めると阿闍梨になれるのです。
この本はその阿闍梨さんが修行中に何を考え、修行後に何を糧に生きてきたかという事を書いた本です。
私の生物学的な意味だけでなく思想的なルーツは間違いなく僧侶だった祖父にあります。
お恥ずかしい仕上がりの41歳ではございますが、仏道にはずっと興味と言いますか、なにか共通する精神性をずっと感じてきたのです。
料理人の修業は僧侶の修行とは別物ではありますが、共通点としては主体性があるかどうかです。
千日回峰も料理人の下積みも、自分から進んでやらなければなりません。労働時間がどうのこうの有給がどうのというサラリーマンコックが跋扈する時代ですが、私は1日16時間働いてボロボロになりながら仕事を覚えました。週一の休みの日は菓子屋でタダ働きして仕事を教えてもらいました。シャルキュトリーはフランスまで行って教えて欲しいとお願いしました。
やりたくて知りたくてウズウズしていたんです。わからないから聞きにいくし、薄給から本買って勉強するんです。それが楽しくて仕方ない。
そりゃ効率が悪いし今ならネット見れば作り方はいろんな人が教えてくれますが、時間を重ねないと見えてこない事ってのは確実にあるんですよ。論理よりも感情で仕事しないと旨いものは絶対に出来ません。
本当に旨いものってのはエクセルで関数にできるような理屈じゃないから殴られ蹴られしながら教わるんです。
良し悪しは別にして、そういう意味での真の料理人というのは私の世代で絶滅します。
千日回峰も強制されれば法律違反だのパワハラだの言われますが、自分から望んでやる事で見えてくることがあるそうです。
道を極めるってのはそんなに簡単な事じゃない。