2020年06月22日
父の日。
父の日ってのは、目立たない存在であっても無くてもあんまり影響のないイベントです。
クリスマス、バレンタイン、母の日というのは田園都市線で言うところの渋谷、三軒茶屋、二子玉川みたいなビックターミナル。
それに比べて、急行列車から見たら一瞬で通り過ぎてしまう桜新町がホワイトデー、駒沢大学がハロウィン、池尻大橋が父の日です。
お客さんのモチベーション上げるための仕組みでしょう。
母の日はカーネーションですが、父の日は何が貰えるのでしょう。
別に欲しいものもないんですが、前々から買うかどうか家族会議の議題に何度も何度も上って私のケチ根性で渋っていたモノを買うことにしました。
何か踏ん切りつけないと買わないものってのは、必要のないものです。
コンポストです。
こんなカバンみたいな形してますが、再生素材で作られており、中には堆肥の基となる素材が入ってます。
ここに生ゴミをボンボン入れて混ぜていくわけです。
ジッパーは匂いや水分を出さない構造になっており、虫が寄ってきたり臭くなることはありません。
ウチはチビが2頭いるので外食は無く、米も玄米を精米しているので米糠も出ます。
基本なんでも食べる残飯処理犬もいるのですが、犬も食べないバナナの皮とかコーヒーのカスとかそういう最終的な生ゴミがここに入ります。
畑は自宅から遠いので、とりあえずここで堆肥にして駐車場に置いてあるプランターハーブの肥料にしたり、入りきらないものは畑で肥料になります。
生産、料理、消費という貨幣循環で物事を捉えてましたが、それは環境サイクルとはならず上から下に流れるだけであり、土壌も環境も擦り減るばかり、流行り言葉で言うとサステナブルでない。
そこで循環するのはお金だけ。
経済活動からポッカリ抜け落ちているものが何なのかを考えれば、サイクルとして完成します。
分解という概念は経済活動としては効率が悪いのでお金になりにくい。
金を稼ぐために作り過ぎたが故に生まれるゴミも有れば、それまでゴミでは無く肥料という資源だったけれど都市生活が当たり前になって田畑が日々の営みから遠くなれば肥料にすることも考えなくなり、ただのゴミとなり、金で買った石油をガンガン使って温室ガス出しながら燃やしています。
この考え方を突き詰めて行った先にはトイレすらも要らない美しい環境サイクルが実現するでしょう、アウトドアウンコ万歳!と言ったらまた叱られるのでしょうか。
こういう物を金を出して買っている時点で文明や都市に依存した生活に毒されているという事を認めざるを得ないのが悔しい。
本当は庭や畑が家の横にあり、その隅っこに掘った穴にこういうものはポイポイ捨てたり、積極的に脱糞して畑に還すことが出来る生活をしないといけないのです。
ウチの親父さぁ、雨の日以外トイレでウンコしないんだよなぁ、スゲェよな今時。
と子供に言われるようにならないとダメだな、と思った父の日でした。