2020年03月21日
私とホワイトアスパラ
理想的なホワイトアスパラ料理はどう加熱すべきか、
という議論が常にありまして、茹でる派がマジョリティですが、私は敢えて声を大にして言いたい!
蒸しても美味しいよ!
と。
フランス料理にヴァプールという蒸し器が使われるようになったのはここ40〜50年でして、中国料理から持ち込まれました。
現在も少量の液体で煮込むブレゼか、ただの塩茹でが主流。
足し算の料理であるフランス料理では何かの味や香りを足していく手法が一般的で、ただ水蒸気の熱で加熱という東洋的な引き算概念は比較的新しいモノで、塩水で茹でて塩味を入れて味わいを引き出すやり方はアスパラに関しては未だに同じです。
水で茹でれば素材の味は少なからず流出するはずで、たとえ塩味が入るというメリットがあっても、二次的な操作が無い場合、私は蒸しあげて熱いうちに塩を振った方が旨いと思うのです。
別にホワイトじゃなくてもグリーンでも同じように蒸して食べてみてください。
で、ミネラル豊富な塩振って熱いうちに食うと悶絶しますよ。
そして、アスパラ談義に必ず出る議論としてもう一つは、紐で縛るの?縛らないの?、という団鬼六が聞いたら激怒するような話です。
ちなみに私は団鬼六先生には申し訳無いのですが縛りません。
団鬼六先生のように美しく縛る意味合いが見つからないからです。
10本まとめて縛ってヒモで8の字で縛り上げ、塩水で茹でるというのが団鬼六的なアスパラの下処理。
外側はいいけど、内側のアスパラは均一に火が入りません。
なので縛ることで何がいいのかさっぱりわかりません。縛ってるフランス人になんで縛るの?何がいいのか?と聞いても、昔そうしろと言われたからだ、としか返ってきません。もしかしたらフランスでは愛のコリーダの藤竜也と共に、花と蛇の杉本彩が人気なのかもしれません。
最後にアスパラ大激論の議題として、茹でる時に皮を入れるか入れないか問題。
これも入れることで何がいいことがあるのかだれか教えて下さい。
皮から味が出るから入れるべきだ論を唱えるならば、皮付きで茹でて、後から皮剥けば良いじゃん。そもそも茹でるという味を流出させる行為に皮を入れて味を出す、というのが矛盾してます。
味が抜けるのがイヤならば、弱火で焼くか蒸すべきで、そんなに皮が皮がと言うなら皮を煮出して煮詰めてソースにでもすりゃ良いけど、アクが勝って美味しくないから誰もやらないでしょ?
こんな一般の人からすればどうでも良いようなアホみたいな話ですが、生粋の職人気質の料理人はこういう話が大好きで、どれほど議論を重ねたところで上下関係のない相手のやり方や話に納得することは永遠になく、いつまで経っても平行線なのです。
人のやり方を否定することで自分を肯定し、虚勢を張るという幼稚なプライドが料理人を支えています。
だからこそ面白いんですけど、この手の議論に酒が入ってきた場合、
お前の肉の焼き方はおかしいだの、コンソメの引くときに肉は挽くのか切るのか、ジュの定義とは何だ!、などとひとたびヒートアップすると、ひと昔前なら本気で掴み合いになったり口汚く罵り合ったりします。
実際、私も今は亡き師匠と久しぶりに会った際、ちょっとした話の脱線からジビエの熟成具合について大激論になり、野鴨は寝かせない方が旨いという私の持論を全否定する師匠と寿司屋で大喧嘩したり、
兄さんと呼ぶ兄弟子ともソーセージ作るときの塩を入れるタイミングと結着剤入れる入れないの違い怒鳴り合いのケンカしたこともあります。
そんな私の知ってる料理人の生態系はクサイキツイキモイの典型的な3K現場であり、武士道的体育会系ヤクザ気質の幼稚で純粋な集団なのでした。
死ぬまで修行と言いますが、自分のやり方がとりあえず最高だと信じたいというのは、裏返せば更に良い方法を密かに探しているとも言えます。
最高と信じたい反面、数値化できない料理はどこまで行っても未完成だからこそ不安を抱えて悩んで死ぬまで怯えます。
今では私も牙を抜かれて飼い慣らされ、誰かに噛み付くことも調理場で暴れる事もすくなくなりましたが、料理の話になると瞬間湯沸かし器みたいにアツくなってしまうのです。