2019年12月13日
料理通信イベント その4
足るを知る、と言われても生まれた時からなんでも与えられており、食べ物はビニールに包まれていたものとして既にあった私達世代は、何が足りているのかわからない世代です。
食べ物は買うモノで作ったことがないし、どうやって出来るかも知らない。
綺麗な靴履いて後ろに手を組んで生産者の話を聞いて畑を回って分かった気になっている自分が、料理について語る事が恥ずかしいと感じていました。
料理とは一体、どこからどこまでなのか。
そんな事を最近は良く考えます。
昔の人は今の私達よりも少し川上に料理の始点があった。
ポールボキューズは市場の料理を提唱し、故郷に帰って地元の市場で生産者から直接買い、話し、食事に来てもらうような家族的な料理を大切にしていました。
トロワグロはキッチンに遊びにくるハンターからツグミを貰い、スペシャリテのツグミのムースをつくりました。
メニューを書く、というよりはその時あるモノをどうしていくか、という点から料理を始めていた様に思います。
先日、寒くなるぞ、なんなら雪降るぞ、とラジオでわーわー言ってましたので、こりゃあかんと言う事で野菜達の様子を見てきました。
どうですか、この白菜。
言わなくてもわかるんです。
私をキツくカタく縛り上げて欲しいの
という声が聞こえる。
寒くなって霜降りて溶けて腐る前に八方に伸びた葉っぱを麻の紐で縛って中を守ります。
去年の反省からです。
明日は急激に気温が下がるとのことで、雑草を細かく切って作物の周りに敷き詰めて保温する作業など、去年は思いもつかなかった事が自然と理解できるようになりました。
白菜餃子の作り方は色々知ってても、白菜をどのタイミングで縛るのか、気温が急激に下がる時に何をどうすべきかなんて知らないし知ろうともしなかった。
自然栽培専業農家すらも無農薬で白菜を作る事が恐ろしく難しいという事だけはハッキリと分かりました。
そんなことしなくてもオオゼキにはミッシリした白菜が並んでます。それを買って塩揉みして皮で包めば、私の餃子なのです。
フードロスをしてはならない、サステナブルでオーガニックヨロシク!と言うのは、所詮現場を知らない料理人の綺麗事で、お前は白菜の何を知っているのか。
圧倒的に現場の経験が少なく、経験を失えば行為に伴うリスクと労力、手触り、匂いを失います。
爺さんの頃には当たり前だった、そんな畑に寄り添う料理は皮肉にも私の料理表現のテーマとなっています。
昔の人は高度な流通を持たないので、家の周りのものを上手く取り入れて知恵を絞り、対応していくしかなかった。
流通が発達するにつれて見えない部分が多くなり、自分の作った野菜を誰がたべるのか、食べてる野菜は誰が作ったのかも見えなくなりました。
結果、グルっと一周回って生産者の見える野菜という新ジャンルが登場し、畑に寄り添う料理なるものが生まれたわけです。
冷蔵庫の無かった頃の料理人の料理とは一体どんなものだったのか、非常に興味があります。