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2019年11月16日

旨すぎた

佐々木さんのアヤメカブが旨すぎました。

 

火入れしようかと思いましたが、このままいきます。

 

 

 

スライスして浅漬けして、同じ北海道の鹿のテリーヌに添えます。

 

 

2019年11月15日

詳しい話は

つべこべ言わずに、この仔羊を食べてからにしましょう。

 

 

 

ヨーロッパのジビエ

明日、ヤマウズラ、山鳩、青首鴨が来ます。

 

原価高いので課金制です。

 

ウズラとハトは従来通り、鴨の料理法はサルミです。

豚の血もフランスの豚です。

 

お好きな方は是非今週末に。

 

 

 

 

冬野菜と、牡蠣

変態農家の中田さんからポロネギたくさんきました。

 

中田さんは札幌郊外の山の中でオーガニック栽培されてます。

昔、私がニースの野菜のタネ持ち込んで育てて貰った農家さんです。

タネってのはたとえニースの野菜でも、札幌で栽培して種とって次世代、その次と栽培を続けていくことができれば、その土地と気候に対応して固定種になります。

すでに10年ほど経っているので、その野菜は札幌の固定種になりましたね。

何度か送ってもらいましたが、ニースのものとは形も味も少し変化しました。

最初は全く売れず、ほとんどうちに送ってもらってターブルとかでもバンバン使ってましたが、最近は札幌のレストラン界隈で完売、結局私のところに回って来なくなるというおかしな事態になっております。

こういうことが今後も出来ると面白いですが、チャレンジしてくれる農家はそんなに多くありません。

 

まあ、これからは自分の畑でやりますけど。

中田さんとの出会いは今回と同じポロネギでした。出荷するはずのポロネギに土が付いているとかで規格外扱いになり、全部返品されて困っている農家がいると友人に紹介されたのがきっかけです。

何が問題なのかよくわからないほど素晴らしいネギなのですが、全部廃棄しなくてはならないと連絡受けて、当時札幌で惣菜屋をやろうとしていて札幌に月2で入り浸っていた私はすぐに行きました。

 

畑の隅に積まれたポロネギと怒りに震える中田さん。

料理にするには全く問題ないじゃないか、市場を通さず、農家からこうした野菜を買えばお互いにとって良い循環じゃないか。

おおお、私がやるべきはこれだなと天命を知った出来事で、料理という行為で何かしらの役に立つことができるなとすれば、わたしにはこれしかない、と決意したのが変態農家の中田さんとの出会いでした。

 

今日からレストランで牡蠣とポロネギ、洞爺湖のジャガイモのフリカッセやります。

ポロネギは長ネギよりもマッチョなネギでして、クタクタに煮込んで真価を発揮します。

 

中田さんの事を変態変態と言ってますが、ただイジってるんではなく、本当に変態なんです。

世田谷通りのパン屋さんみたいな頭蓋骨に穴空いててもクレイジーに仕事に取り組んでいる変態とか、自分の誕生日に自転車で六本木から24時間かけて八戸に行こうとかっていう変態ではなく、ススキノ界隈における変態っぷりがここには書けないほどド変態です。

詳しく聞きたい方はwebよりご予約ください。

ぬおお

今日の0時から御節セットが予約スタート。

 

すでに結構なお点前の予約数を貰いました。

 

去年より早いペースです。

 

ご予定の皆様、お早めにどうぞ

2019年11月14日

明日から年末セットの予約開始です

はい、今年もやってきました。

恒例の地球に優しい年末御節セット。

ウチだけの業界初の独自システム、自宅からタッパー持ち込みセルフ式御節です。

レストラン業界でこのシステムを誰かマネしてくれるとそれだけでも使い捨てプラ容器が物凄い量を削減できるんですが、それをやらないというのは、プラスチックの綺麗な使い捨て容器に入れてあげないと買ってくれないとお客さんのせいにしているからなのでしょうか。

こういう事を言うと嫌われる。

ウチのセットを買ってくれるお客さん達はキチンとした入れ物ではなく、キチンとした食べ物を期待しているのでしょう。

また余計な事を言いましたね。

ウチだけが容器を削減できても意味がないので、業界が追随してくれるまで私たちはこのスタイルを貫きます。

こういう事を言うと更に嫌われる。

 

 

 

今年はシャルキュトリーだけでなくオカズ類も充実します。

ご家族4人から5人前で三ヶ日ワイワイ楽しんでもらえる内容です。

 

今年はスクランブルスクエアのターブルのオープンがあってフレンチおかずが充実してます。フレンチおかずとは、ご飯に合うフランス料理風のおかずですね。

牛肉の味噌赤ワイン煮込みやフレンチモツ煮、カレー、豚の豆トマト煮込みなどなど、お母さんが三ヶ日働かなくてもいいようなフルラインナップ。

それにシャルキュトリーの詰め合わせ、取り放題のデリ4種類です。

 

税別2万円で限定100セットいきます。

 

いけんのか?

いけるはず。

明日からウェブ限定でのご案内です。

去年から持ち帰り容器の販売を辞めましたが、皆さん意識高い方ばかりなので無駄な心配に終わりました。

さすがです。

 

 

そして謝らなければならないのが、毎年恒例の年越しラーメンですが、今年は軽減税率の関係でイートインのラーメン出すと色々とグレーゾーンなので、今年は辞めます。

その分、御節の内容に予算をくっ付けますので、ご期待下さい。

 

 

たまには取材されましたアピールしてみます

取材は有難いことに様々頂いてますので、毎回何々に載りました!紹介されましたありがとうございます!

と、いちいちアピールする事もしなくなってしまいました。

 

これじゃイカンと。

 

https://www.premium-j.jp/premiumx/20191111_4597/#page-1

 

オーガニックについての取材ですが、ブログの読者の皆さんには長々と私の意見をダラダラと読んでもらってますので、この記事が表面をフワッとなぞるくらいの文字数しかないのはご理解下さい。

私の中のオーガニックとは簡潔に言い表せる合言葉みたいなものではないです。

 

こう言ってはアレなんですが、本当はこの取材は受けるかどうか迷ったんです。

いっときの流行りでオーガニックとかって流れがあまり好きではないので。

私はもう10年以上前からオーガニックとフードロスの関係性について人生賭けて取り組んでます。

 

フワっと表現できるものでもないんです。

私は料理人なので料理で表現しなくてはいけません。料理は表現としては作って食べるところで完結します。

いつか川上から川下までを辿る事を料理で表現する。

それを文字表現に変換するのは、また別の行為です。

綺麗な写真とライターさんにサラッと書いてもらってオーガニックの本質が伝わるなら、こんなに簡単なことはないんですけどね。

でも、いつか自分の経験と体験と失敗をもとに、自分の言葉でオーガニックとフードロスの関係性を文字に変えていきたいと思っています。

 

 

2019年11月13日

牡蠣のムニエル

私の畑を冬野菜に植え替えました。

これ、何かわかります?

そう、ブロッコリー。

 

 

これは?

 

いえ、違います。

白菜です。

すでに虫に喰われており、軽く落ち込んでます。

 

キヌサヤとルッコラは自民党と日本会議みたいにお互いに助け合う間柄なので、同じ畝に植えます。

 

ほうれん草も植えましたが、まだまだ小さい。

牡蠣が出始める時期と、ほうれん草は微妙にズレてます。

料理ありきならば、ほうれん草なんでしょうけど、とりあえず今は人参しかありませんので、人参の煮込みと牡蠣のムニエルです。

 

これはこれで美味しいんです。

 

 

明日は変態農家からポワローが届きますので、ポワロー、ジャガイモと牡蠣の煮込みです。

いやー、最高の組み合わせ。

 

 

輿さん、あたーす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京モーターショー限定とか。

ウチのガキがトミカフェチなのです。

 

 

それにしても最近のミニカーってすごいですね。

値段も高くないので、何かと機嫌とる時に買って与えてしまいます。

特に危険なのは中央道の下り、談合坂サービスエリアのトミカゾーンは絶対足を踏み入れてはならない場所。

実家まで2時間の予定が大幅に狂うことになります。

まあ、私も車が大好きでよくオネダリしていたので気持ちはよくわかります。

ウチのガキは男2人なので、男2人兄弟だった自分の幼少期をなぞるような感覚です。

要するに予定調和です。

ああ、ミニ四駆ね、

ああ、ラジコンね、

ああ、朝勃ちね

私はロバートハリスさんのように、子供とエロい話がキチンと出来る父親になろうと思っています。

 

2019年11月12日

体験が欠如している世代

圧倒的に現場での体験が欠如している世代が、団塊ジュニアの私たち世代です。

生まれた時から車もテレビもジャスコも一通りなんでもあって、どのように生きるか、という点においては

“積極的に生きている”というより、

“消極的に死んでない”という方がしっくり来るのです。

私達世代は自分自身の生の存在と手応えを確かめるために山に登ったり自転車漕いだり台風にサーフィンします。

生きているという手応えは自分で獲得したのもではなく、生まれた時にすでにあった文明から与えられた快適な生活に対して少し申し訳なさとやましさを感じ、かすかな疑問を持ちながら特に乾いた欲もないまま何故か料理人になりました。

そんな子供の頃からの当たり前に与えられた快適な環境を引きずったまま、憧れたヨーロッパの料理を大した体験もしないままに真似事をし、誰かのレシピに従い、ファックスで届いた誰かが育てた肉を使って、自分の表現と称する料理を作り続けた結果、私達世代の料理人が一体何を語れるようになったのだろう。

体験を失えば、それに付随する感覚や感情も失うことになり、そもそも体験という概念すらなければ命を奪うことすらしなくなり、命を食べている事まで忘れてしまう。

 

人間中心主義の中でオーガニックや海洋資源や動物愛護を体験の伴わない薄っぺらい言葉で語ったところで、環境問題の本質を突き詰めた先にどんな答えがあるのかは誰もがわかっているはずです。

 

私たちが生まれるはるか昔の漁師や猟師、農家は人間中心に物事を捉えられるほど文明の恩恵を受けておらず、天変地異に怯え、時に暴力的な自然環境の中で折り合いをつけながら生きてきたはずです。

言い換えれば、文明に毒されてないから、より自分の力で生きていたといえます。

より自分の力で山に登れば正しい手応えがあり、正しく食べることは手応えのある生き方につながるはず。

私が狩猟を考える時、生きることと殺す事の矛盾についてのヒントを得たのは、アイヌのイオマンテと宮沢賢治でした。

イオマンテは冬眠しているヒグマをかり、ヒグマを連れ帰って集落で2年ほど育てたあと、首を丸太に挟んで殺して集落全員で食べる儀式です。

この熊送りの儀礼は野蛮なのでしょうか。

野蛮と感じるのは、それが子熊であることではなく、自分たちで育てた動物を食べるという行為そのものにその本質が潜んでいる。

現代において、生き物を可愛がる事と殺して食べることは両立しない。

しかし、熊の頭以外の皮は服てし、内臓は薬とし、肉は食べ物として全てを無駄なく頂く事で神への感謝を捧げることとして殺しと生きるを肯定します。

それは生き物と人間を境界線で仕切った上での建前論の共存関係ではなく、生き物無しには生きていくことが出来ないという止むに止まれない共生関係があるのです。

なめとこ山の小十郎は熊と対等の関係にありました。

現代は熊を殺さなくてもマツキヨとユニクロとハナマサに行けば全て揃ってしまう。

ペットと家畜は別の生き物で、ペットは家族で家畜は食べ物です。

 

私はそんな当たり前のタブーと常識を疑い、狩猟から料理をする事で

今、俺は生きている、

という体験してみたいのです。

 

 

 

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