2019年11月09日
新しいスクランブルの店でも大根と牛肉の煮込みをやろうかとおもいます。
そういう料理もバンバン出せるのが惣菜屋のいいところです。
このほかにも紅シグレや赤大根が沢山来てます。
今日はサンマのマリネに添えます。
昨日、北海道の変態農家の中田さんからSOSありました。
注文貰って作っていたポロネギがキャンセルされて行き場を無くしてます、とのこと。
おいおい、作ってくれって農家にお願いしておいてキャンセルなんてあり得ねぇな。
ここはターブルオギノの出番だろうと。
開発部門にそんな経緯を話して、ポロネギ料理が近いうちに並びます。
ポロネギならばザクザク切って冷凍も出来るしね。
鳥とポロネギの煮込みか、ポロネギのマリネ、ポロネギとジャガイモと牡蠣の煮込みなどなど、ポロネギ料理は無限にあります。
レストランでも牡蠣とポロネギで何かやりますかね。
私も良い歳なので、最近は見て盗んで覚えろ、という事はあまりなく、タイミングが来たと思えるスタッフには丁寧に教えています。
特に肉焼きに関しては経験がモノを言うジャンルなので基本的な事は一通り教えます。
でも、ソースでも肉焼きでもなんでも同じ手順踏んでも私と同じようには絶対にならないんですね。
これが不思議と。
なんでかな、と考えるんですけど、答えは簡単。
味覚の経験が少ないからなんです。
同じ牛でもハラミとサーロインとヒレでは繊維の入り方から焼きのポイントも微妙に違いますし、合わせるソースの油脂分や濃度も微妙に違う。
焼き加減がロゼなのか生っぽいブルーなのか少し強めのアポワンなのかによっても肉の味は変わります。
その微妙な違いは作り手の個性であり、一様にこれが正解というものでもない。
そもそも味なんてものは主観と主観のぶつかり合いなので、私が旨いと思ったモノが旨いと思ってもらえるかどうかは別次元の話です。
料理人は自分が旨いと思うものを作り、それが受け入れてもらえるかどうかで決まりますが、それは店をやっている場合に限られます。
ウケ狙いで味を修正していくとおかしな方向に行くことになります。
料理人という生き物は、作った物がお客さんに受け入れられるかどうかは、この際どうでもいいと言うとまた叱られますが、これで良いと思ったものがウケなくても、実はそんな事どうでもいいと思ってるんですよね。
これがレストランの難しい所で、表現と商売を両立させる事、もしくは個性を殺して儲けようが目的になってしまうとダメなんです。
もっとこうすれば旨いと思うけど、それやっちゃうとウケないからやらない、というベクトルに思考が向くのです。
いや、商売的な原則からすれば、それがある意味で正解なんでしょうけど、表現者としてすべき事をお客さんのせいにしてしない事は料理人としては失格なのです。
そのためには自分が心から旨いと思える味覚の経験がどれだけできるかどうか。
日本人が作る料理の日本にいてもなかなかその体験は出来ません。
やはり価値観のちがう食文化にどっぷり浸かって考えないとダメなんです。
若者よ、冒険に出ろ。
だから何が言いたいんだ?って話なんですけどね。