2019年10月31日
羊ってのは豚と違って一回の出産で一頭しか産みません。
なので豚には申し訳ないのですが、そんな人間の勝手な価値観によって高級食材とされてます。
とにかく脂の香りは独特で、これが好きでたまらない人もいれば、この臭いが嫌いと言う人もいるでしょう。
わたしはこの脂をカリッカリになるまで徹底的にしつこくしつこく焼きます。
すると余計な脂が落ちて旨い部分だけが残されてロゼに焼かれた赤身と脂のバランスが良い時の仔羊の旨さたるや…
こればかりは食べないとわかりません。
脂が焼けたらほとんど完成みたいなもんです。あとは赤身に火をしっとり入れれば良いのです。
理想は国見さんの奥さんのようにラブジュースをたっぷりと湛えたエロピンク色。
仔羊はニュージーランドの普通のもの。
フランスとか産地どうこうよりも焼き方が全てであり、ヘッポコが焼いたフランスの羊より、上手なコックが焼いたニュージーランドの方が旨いです。
肉の品質が良くても焼き方が悪いと台無し。
料理人という生き物は腕が上がると反比例して性格と態度が私のように悪くエラソーになります。
そうなんです、性格が捻じ曲がった店の方が料理は旨いのです。
そんな捻じ曲がった性格の人間が焼いている仔羊は、途中に葡萄の木で薫製かけながら焼いています。
食わず嫌いの人が居たら、とりあえず私の焼いた仔羊食べてから判断してください。
いつもの肉屋が11月は仔羊が特売らしく、オヌヌメされたので、よろしくお願いします。
1ヶ月ほど前に作った猪のテリーヌを出していきます。
作り立ては大して美味くも不味くもなかったなんて事ないテリーヌでした。
教本には書きませんでしたが、作ってすぐに出すテリーヌと熟成タイプは作り方が根本的に異なります。
熟成は時間の為せる技であり、軽い発酵がパック内で行われ、ちょっとまろやかな酸味が出てきます。これはターブルではヤバくて出せません。
年を取って良い感じになってくるという、まさに石田ゆり子のようなテリーヌですが、人間に酸味やエグミが出てくるところとか、目の届く行動範囲でないと人間的に危ないというのはわたしにもピッタリ当てはまります。
不惑の歳を迎え、惑わないというより、今更カチカチの銀行員やコチコチの公務員になれるわけがないからゆる〜いコックでやっていくしかないという惑えない年齢になってしまったから、とりあえず続けてなんとか生き残ってるね的な私のようなテリーヌ。
私もこれからジワジワと旨みのある男になるはず、と期待したい所。
途中で腐らなければいいのですが。
2019年10月30日
このクソ忙しいタイミングに、破壊力抜群の食材が届きました。
奴はまだガチガチに凍っています。
全身毛皮に覆われ、立派な爪もある。
サイズは小さく、内臓は抜かれていますが、肉の断面から脂のノリの良さが見てとれます。
冷蔵庫でゆっくり解凍して、解体してみないとどうするべきか全く読めません。
12周年のテリーヌはこれでいっても良いような気がします。
逆にこんなレア食材こそ相応しいではないか。
フォアグラ、トリュフ、野菜キノコ、アルマニャックなどぶち込んで超リッチで濃厚なテリーヌ作ろうか。
多分、一年に一回作れるかどうかのテリーヌになるでしょう。
2019年10月27日
私も鉄砲撃ちになりました。
そしてその副作用として、先日の射撃場での試験以来、戦争映画や銃撃戦のシーンが楽しいと思えなくなってしまったのです。
圧倒的な暴力を手に入れた人間は表現出来ない恐怖を抱えて生きることになります。
明日、預けている銃を取りに行き、そのまま警察で検査を受けたら私は一般人ではなく、公安の監視対象になります。
それが怖いのではなく、やはり圧倒的な暴力が怖いのです。
牛や豚は必ず屠畜場で屠殺する事が法律で決まっており、家で潰すと捕まります。
そのため、生き物が肉に変わる瞬間はクローズドな施設で粛々と行われています。
この作業は歴史的に入り組んだ事情を孕んでおり、その点についても自分なりに勉強しましたが、料理の源流を辿るので有れば、この作業を避けては通れません。
現在の食を取り巻く諸問題は、分業化することで効率的に食べ物を供給するシステムを構築したことによる様々な見えにくい部分へのイマジネーションの欠如ではないかと考えています。
私はジャーナリストでも物書きでもないただのコックなのですが、自分の仕事に誇りを持つためには、食環境について知る事をやめてはならないと考えています。
キッチンで行われる諸々や小売、飲食店、経営という社会人間としての資本主義的な営みについては、長く経営者としてやってきた点に於いて、それなりに知識はあるつもりです。
しかし一次産業や流通などについて、絶望するほど何も知らないし、私に語れるものは何もなかった。
これは無責任なのではないか。
安く仕入れた食材に手間かけて高く売るだけの錬金術師にはなりたくない。
私は深い料理人になりたい。
自分が経験した事を自分の言葉で語れる人間になりたいのです。
自分の手で生き物を殺し、解体し、精肉し、加工して責任持ってお客さんに届ける。
分業化された現代ではこれが意外と難しい。
それぞれに厳重な許認可が課せられ、鉄砲だけでも気の遠くなるような手続きが必要ですが、それ以外にも自分のところで解体と精肉、肉加工品を作るという50年前は普通に行われていた事が出来なくなっています。
そのために何度も保健所に通って非常にハードルの高い施設基準を通すための莫大な設備投資や、肉加工の厳正な資格を取得しなければ川上から川下までを全て自分達でやる事が許されません。
自分でいうのも何ですが、私の知る限り、これらを自前でやりながらできた製品を東京のど真ん中のオシャレ施設の直営店で責任持って売る奴等はいないと思います。
最も自然から離れて暮らす都会の人に食べてもらいたい。
そして考えてもらいたい。
あとは私が上手く鹿や猪を獲れるかどうか。
ここにもまた、宇宙のような広い世界が広がっており、私の40歳代の挑戦でもあります。
2019年10月26日
https://r-tsushin.com/feature/sdgs/conference_01.html
以前からチョイチョイ小出しにしている料理通信主催のイベントですが、概要が固まりました。
小林武史さんと和歌山の料理人さんや
編集顧問の君島さんや
北里大学の山田先生とか
錚々たる方々に混じって異物感ありすぎるこの2人。
早朝の鎌倉で撮影しました。
いい感じに写ってますけど、実際はこの時、
え?この辺から大船に抜けるのってどこ行くと早いっすか?
あー、あそこの道を右に曲がってまっすぐですね〜。
とか、
犬飼ってるんでしたっけ?
そうそう、ウチはボーダーコリーね。
へぇ〜、ウチはメタボなビーグルなんですよねー。
という割とどうでも良い会話してます。
今回のイベントは4年前からやってきた自転車イベントとか畑イベントとかの文脈と同じ流れです。
パタゴニアは新しくアパレルとは別部門として食品ブランドを立ち上げて、環境再生型、持続可能性の高い食材を使った商品の開発や販売をしています。
ウチでも提供している、新開発の多年草の麦から作られたクラフトビール、自転車やトレイルランニング向けオーガニックフルーツパワーバー、登山向けの簡易的なスープなどです。
詳しくは次号の料理通信に掲載されますが、私たち2人が訴えたいのは、そのものズバリ、今だからこそのオーガニックの意義についてです。
小林さんの農場の食材とパタゴニア・プロビジョンズを使ったランチボックスなどご用意しております。
是非是非お越し下さい。
山ウズラではなく、家禽のウズラです。
野生と養殖が同時にメニューに載ることは多くありません。
肉質は似てますが、香りや味わいは全くのベツモノ。
野生は臭い、養殖は食べやすいという認識は正しくありません。
養殖の真鯛と天然の真鯛に対する認識と同じで、優劣の問題ではなく慣れているかどうか、あとは好みの問題です。
養殖はモノが安定していますが、野生は個体差が激しい。
そのバランスをどう取るかが腕の見せ所でしょう。
今日は詐欺師の山ちゃんから泣きの売り込みありまして、フランス最高級のウズラをウチのような場末の店に売りつけてきました。
そんな最高級ウズラならば、それなりにこちらとしても喧嘩するくらいの食材合わせてやらねば、本来の持ち味を殺してしまう。
ウズラはツボヌキして中にトランペットや天然キノコと栗のリゾットを詰めます。
このリゾットが秋全開でむせ返るような山の香りに満ち満ちています。
サザエさんや昆虫博士のせいで買いたくても買えない人が続出、私もその一人。
コッソリ店を抜け出して世田谷通りに走りたいけれど,いつもそんな鉄壁のディフェンスが立ちはだかります。
全国各地からその店を目指して旅程を組み,ついでにウチに寄ってくださるお客さんも多数いて、もはや下請けレストランの様相を呈しております。
皆さん口を揃えて、そこでなければダメなんだ,もう後には戻れない、どうしてくれようか、と頭を抱えながらもウキウキと重そうな買い物袋を持ち帰ってフランスの香りを噛みしめるのでしょう。
皆さんはそのパン屋さんの被害者であり,私はサザエさんや昆虫博士の被害者でもあります。
なんと不幸な店があるのでしょうか。
巴シェフ,由美さん、10周年おめでとうございます。
その背中はいつも大きく遠い。
2019年10月24日
1人ハロウィンでした。
にんじん、枝豆、里芋、サツマイモ、カボチャ…
少し土を休ませてから冬野菜の種まきです。
ある料理雑誌のコラムに
料理人が片手間で畑をやるのは生産者と意思疎通できてからでも遅くはない。
とありました。
果たしてそうでしょうか。
料理界に詳しい筆者が畑をやったことがあるのかどうかは書いていませんでしたが、料理人が畑をやる事でデメリットがあるとすれば爪が汚くなるくらいなもので、土壌や環境、生産者へのイマジネーションを体験を通して理解する事で料理をさらに深く考える事になると思います。
完全に分業化された現代の料理界は、文明の発達と共に進化ではなく、どちらかと言うと退化しており、昔の料理人がそうせざるを得ない事によって当たり前にしてきたことが出来なくなっています。
季節ごとのコンパニオンプランツが皿の上でも良い組み合わせである事は、害虫から互いの野菜を守るための自然の摂理であり、輪作は土壌を守るだけでなく本質的な多様性の意味を教えてくれます。
鹿はハンターが担いできたものを解体からしなければならず、無駄にせず現金化するためにも余す事なく使い切る工夫と知恵が育まれました。
生産者と意思疎通する事で、農業の問題点や苦労を他人事として頭で知識として知るのと、自らの身体を使って経験し解るのとでは見える世界の次元が異なります。
意思疎通するだけでは、料理人は農家にとっては、いつまで経ってもただのお客さんでしかない。
全てを作ろうとしなくていいのですが、出来る事や知らないことを身体的な経験として刻み込むことは無駄ではない。
そうした身体的な経験はタトゥーのようにいい意味でも悪い意味でも身体に深く刻み込まれ、やがて料理人としての血肉となるはずです。
知る事と
解る事は
は絶対に違う。
自分でプランターでもいいから野菜を作った経験があるコックとないコックとでは野菜や生産者、流通に対する関心領域が圧倒的な差が存在するはずであり、それでも生産現場に対するイマジネーションが欠損するのは単に考えが浅いという事です。
工業的に作られるモノとは異なる野菜や肉魚などは生命であり個性である前提を理解するかどうかで作られる料理は、キッチンで設計図を書いて出来上がるそれとは違うと思っています。
今日からデザートで、柿のタルトとマロンパイいきます。
サザエさんが物欲しそうな顔でデザートに期待している圧をヒシヒシ感じます。
柿は新潟県、高塚さんの八珍柿。
常連チームのN姐ヤンからのプレゼントです。
私たちだけで食べるのも申し訳ないんで、皆さんにもこの柿の旨さを味わって頂きたい。
マロンパイ、説明不要ですね。
今年は鹿児島の山王君の畑の栗です。
小粒でホクホクですぜ。