2019年09月18日
エロス
芳しいキノコ、肉汁溢れる鴨に包まれたフォアグラのヌラヌラ感がエロスです。
男性にウケると踏んでましたが、綺麗なオネーサン二人ともパイをチョイスしてくれました。
芸術の秋ですね。
昨日、石田衣良原作、さまざまな事情を抱えて生きている女性向けの男娼、娼夫を描いた
“娼年”
という半分エロビデオみたいな映画を秋の夜長に楽しみました。
松坂桃李君のお尻が好き、と国見さんの奥さんが言ってたような言ってないような。
母親が二階の寝室で子供を寝かしつけている時に父親が下のリビングで喘ぎ声が大音量で響く動画を見ていたら、一体何をどう思うのでしょうか。
いいじゃない、人間だもの。
全裸監督、娼年、どちらも突き抜けたエロス作品で素晴らしい。
生物としての人間の本能的な部分を仕事にするのは、一見良さそうに見えて非常に辛いのでは無いか。性交渉は本能でありながらも人間にはほかの動物には無い複雑な感情が付帯するからです。
腹が減ったから食物を食べる、生きるために食う、という生物本能的な食欲はもはや現代人にはほぼ存在せず、嗜好品的な食が進化していくのは性欲も食欲も同じです。
人間はただのエサがあればいいのではなく、なにより美味しくなくてはいけません。
美味しいものを食べるという点に於いて、その料理はお客さんは主観的に良し悪し美味い不味いを判断します。
作り手である私たちも同じく主観で料理を作ります。要するに自分が食べたい、美味しいと思う料理を作るのです。
これはアレだからアレをこうしてアレしちゃうぞ、アレはかなりアレだから、絶対旨いはずだ!
という哲学を料理で表現し
アタシはぶっとい塊肉の肉汁を浴びたいのよ!というお客さんの妄想に近いメニュー選び
その凸と凹がお客さんとピタッとハマった時、お互いにある種のエクスタシィやカタルシスが皿を通して産まれます。
食とはエロスですね。
鴨のミンチにフォアグラを入れ、フランスのキノコ、トランペットも一緒に挽いて香りをつけます。
酒も多めに入れて大人の味に。
香りと肉汁を閉じ込めて吸い込むパイで包んで焼き上げれば凱旋門から程近いタイユヴァンで食べたあの味、あの香り、あの記憶が蘇ります。
こういう古臭い料理ばかり作ると反応してくれるのは大体男性のお客さんですね。女性はどちらかというと今風のオシャレな料理が好きです。
男は最初を忘れられず、女は最後を忘れられない
という名台詞は料理においても、あながち間違ってないのかも知れません。
今日は波が良いぞ、とのことで喜び勇んで海へ。
おおおお、素晴らしいではないか。
サイズは頭から頭オーバー。
よく見ると面ツルだけどアウトではイマイチ割れにくい。
セットは超デカくて人も少ない。
しかし、先日の台風で地形が変わっているのか、インサイドで超ホレるので危険極まりない。
ホレる波とは落差が激しいブレイクで、テイクオフに失敗すると頭から突っ込むので非常に危険な状態です。
地形が変わって水深が一気に浅くなる場所で海底が露出するほど強い引き波がある時にこうなります。
知り合いに激写されました。
滑ってるアリンコみたいなのが私、らしい。
ウヒョー、最高!
このあと、波が一気にホレてブレイク、ボードに乗った私はその中に巻き込まれました。
物凄いパワーで後頭部を押さえられてそのまま海底に押し込まれて顔面を強打、そのあとは乾燥機のタオルのようにグルグルと海中を回ります。
うおー、痛え。
痛えな。
これで完全に戦意喪失、ジ、エンド。
そのまま上がって車に戻ると顔面が血だらけです。
どうやら、海底に打ちつけた部分が切れたようです。
洗ってみると右目の下が殴られた後のように真っ赤に腫れてます。
田中慎弥の小説に出てくるDV女の心境はこんな感じか。
天国から地獄へ。
はじめての獲物としてニホンジカを撃ってキャッキャと喜んだら、ニホンジカではなくニホンカモシカだった、というような絶望感。
みなさん、ホレる波には気をつけましょう。
2019年09月16日
散弾銃にも色々タイプがあります。
上下二連銃
水平二連銃
ボルト式
自動銃
ポンプ式
などなど
西部劇に出てくるのは大体水平か上下の2連銃で、スティーブンセガールがぶっ放していそうな前後にガチャっとスライドさせるのはポンプ式散弾銃です。
それぞれに良し悪しがあり、狙う獲物の種類によっても変わります。
私の場合、鹿と猪の四つ足哺乳類狙いであわよくば鴨キジの二本足もやりたいという事で取り回しが良く、装填もやってくれる連発式の自動銃でしょう。
服部文祥さんは
ボルト式一択だな、東出君も自動銃から結局ボルト式にしたんだよ、だからお前もボルト式だ。
と、ハードボイルドなボルト式を問答無用でオヌヌメしてくれましたが、初心者にはハードルが高い。
服部さん、ビビったな、とバカにしないでください。
先日の射撃試験も通ったので、この後は鉄砲屋さんに行って銃を決めて予約し、予約票持って警察に行き、最終的な許可をもらえば手元に銃が来ます。
今年の狩猟期間には間に合いますね。
ちなみに狩猟に行くことを店の宣伝にするつもりは毛頭ありません。自分の思想の骨格に肉付けしているだけの事です。
ジビエ料理を極める事と狩猟を極めることは全く別次元の世界です。
自分で撃った=旨い
ではない。
サーファーが自分で理想のボード削ったり、ロードの選手が自分でフレーム溶接することはライディングやペダリングの技術とは別次元のベクトルが存在し、そこに労力と手間かけるより練習した方が道は極まります。
しかし、付随する全てを自分でやってみるという体験は本来の目的に対して直接的な影響は少ないとしても深い考察と思考を与えてくれるはずです。
一般論として、散弾銃持った料理人が撃つものが素材としてライフルを持ったプロのハンターのクオリティには程遠い。
手間と時間と手続き考えたらやってられません。だからこそ分業体制をしっかり敷いて区分けする事で効率よくレストランで状態の良いジビエが出せるのです。
そもそも、これは業界的にグレーでタブーでしょうけど、仮にシェフが鉄砲持って狩猟に行って獲れた鹿なり鳥なりをそのまま店に持ち帰って料理して食べさせる事は違法です。
地域の認可を受けた解体場を経由するか、ターブルオギノのような加工食肉製品として処理するための特殊な許認可が必要なんですよね。
今回の猟銃所持許可から狩猟免許取得で許認可関連にはかなり敏感になりました。
ある種、私は公安の監視対象となった為、知らなかったでは済まされない厳しい規制と制限が設けられており、狩猟関連に限らず違法行為すれば今までよりも厳しい処罰とペナルティが課せられます。
それでも単純に自分の追い求める思想とテーマを深めるためにレストラン料理からシャルキュトリー 、デリ、そして畑と狩猟へと遡っていますが、川上から川下まで自分の身体で追経験する事の大変さ、煩雑さは現在の成熟しきった消費社会を支える完全なる分業体制とは一体何か、を当事者として、原因側として内側から考えるヒントになりました。
人口が増え続け、青天井に経済成長することを前提に作られた社会体制は少子高齢化や天災などの想定外の事態に柔軟に対応出来なくなるほど肥大化し、自分が食べるものが一体どうやって口に入るのかすらわからなくなるほど分業化して、どこかがほつれると一気に崩れてしまいそうな脆弱性を抱えています。
料理と屠殺や殺生の間には深い溝があり、スッパリと切り離されているからこそ料理文化は発展したと言えるし、この溝のせいで食材に対するイマジネーションが欠落していると言えます。
食環境サイクルを紐解くカギがここにある。
色々一通りやり続けて、やはり取り組むべきはフードロスとオーガニックなのです。
2019年09月15日
映画、新聞記者を見たかったけれど、なかなか神奈川ではやってないので、とりあえず原作者というか、モデルになった記者さんの著作を何冊か。
いやー、凄いですね。ここまで信念持って仕事している人がいるのは勇気付けられます。
それにしても菅官房長官のノラリクラリしと、ヘラヘラした会見にはうんざりさせられます。
政府の顔とされる人物があんな感じなんだから、安倍政権が薄っぺらい集団である事は誰が見ても明らか。
新しいイケメンイクメン環境相は出来もしない、責任も持てない原発処理の約束をしてその根拠を問われても
やりますよ、ニヤリ
とするだけ、かつて自民党をぶっ壊したつもりで日本をぶっ壊してしまった父親譲りの無責任さが全開。
最悪の投票率だった参院選で国民の信を得たと自信満々で、改憲に挑戦するとした安倍首相。
そもそも改憲て挑戦するようなものなんでしょうか。
改憲するかしないかという二択になってますが、私はそこに
議題にもならない、
という三択目を設けて頂きたい。
武田砂鉄さんを何冊か。
基本的には社会評論エッセイとでも言うべきか、とにかく言葉が上手くて一気に読めます。
安倍政権に対する強烈な皮肉も痛快。
捻くれた人が捏ねあげた屁理屈、本気で揚げ足を取りに行くとこうなるのか、という見本のような本です。
やるべきテーマが定まったので、また関係する書籍を読み漁っております。
何冊か同時に読んでますが、例えばコレ。
畜産業には手がだしにくいのでペットとして豚を飼い、その時が来たら屠殺場に出荷して最終的に食べてみる、という内容。
またはコレ。
レイチェルカーソン
ジェーングドール
と来て、デビット・モンゴメリーによる環境問題の根本的な原因である農業に関する問題提起の決定版です。
1960年代、レイチェルカーソンの沈黙の春の発表から欧米の環境活動は一気に活発になり、現在パリでは公園や学校でラウンドアップはじめとする農薬、除草剤の使用が禁止となりました。
翻って日本では世界で余り始めているラウンドアップをせっせと消化するために規制緩和の大安売り、世界中の農薬が日本に集まり、もはや世界のゴミ捨て場のようになってます。
いつも心掛けている事ですが、私は原因側ではなく、解決側に行くために抗って生きていきたい。
2019年09月14日
これです。
何気にハマっております。
それにしても、こんな夢のような本があるのですね。
なにもかも丸出しのモロ出しじゃないですか。こんなに見せちゃって良いんですか?
宮沢りえがサンタフェでアンダーヘアー出した時に感じたような、
な、なんで脱いじゃうのよ、
という思春期特有の自分勝手で奇形した嫉妬心のまま不惑を迎えた私。
言い換えるなら林道を何時間もかけて峠越えなきゃいけない目的地にいつのまにかバイパス出来てて30分で行けちゃうって感じです。
ウチの若い子たちもやっと自分で料理を自分なりに調べて経験して改善して会得する事の楽しさを感じているようですが、あまりにも親切すぎやしませんか。
うへ、こんなところによく道を作ったな、という先人への尊敬と試行錯誤を金で買ってショートカットしているような後ろめたさを感じます。
かく言う私も若い頃は料理書を読み漁ってました。
それでも回り道する事でしか見えない景色があるはずだ!
とオッサンならではの原理主義的価値観を押し付けても若者には響きません。
近道を覚えてしまうと、昔の人はこんな道を往復していたんだ、すげぇな、という知恵と工夫の源流を切り離してしまいます。
こうして文明や文化とはこうして発展するのでしょうか。
近道や時短が正義だとは思いませんが、料理に正義があるとするなら、それは絶対的に旨い事です。
旨いかどうかの評価や価値基準は所詮、他人がどう感じるかという主観の範疇を超えず、それら主観の集約、ある種の多数決によって旨い不味いの判決が言い渡されます。
何が旨い料理なのかという自分なりの定義や基準を見つけるのは溢れる情報社会の現代では逆に難しいような気がします。
昔は師匠の言うことが原典であり、原典に近づく努力を続ける事で本質を掴めると。それだけ情報が少なかったのかも知れません。
他の店の料理人がどういうアプローチで料理に到達していたのかを知る術は今ほど無かった。
溢れる情報社会だからこそ悲喜交々経験して自分の確固たる思想を編み上げていく時間というのが、現代の修行期間なのでしょう。
若い頃はコックの卵達を弟子として料理のイロハを教え込んで自分色に染め上げた料理人を輩出したいという光源氏みたいな願望を持っていたけれど、そんなものは単なるエゴでしかなく、料理の本質は本人が見つけ出し、定義するものである事にやっと気がつきました。
逆に言えば、ネットなり本なり先輩なりに教えてもらおうという料理人はどう考えても伸びない。情報に溺れて考えることをやめてしまったとしても料理自体は作れるけれど、そこに個性や思想がなければ底の浅いものになってしまう。
結局は本人が料理という自己表現にどう向かいあい、考えるか、に尽きるのではないでしょうか。
2019年09月13日
というサーフィン雑誌に取材受けてます。
ブログでサーフィンへの思想を熱く語ったのが良かったのか。
辻堂オヤジサーファーズの中の飲食系勢揃いで別々に取材受けるんだとか。
リストランテホンダの本多さん
ビストロヴァンテオの仲道くん
そして私。
最近、海で顔会わせないような緩〜い繋がりが心地いいです。
自転車雑誌やサーフィン雑誌、ヤマヤ雑誌など色んな所に顔出してますが、結局どんな趣味でも腹が減り、その界隈の人は何を食べるか、という事なのでしょう。
2019年09月12日
https://store.tsite.jp/shonan/event/cooking/9489-1547220908.html
ジェントルマン・クッキング・ジム開催。
施設側からの告知です。
東京の皆さんにはあまり関係ないですが、レシピなんてメンドクセーという湘南エリアのジェントルマンの皆様、一緒に楽しく男料理をしませんか?
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