2019年08月02日
免許とれなかったらどうしよう
いつもお世話になってる某番組から出演のオファー。
テーマはジビエとの事。
現在、免許取得中ってのは知ってかしらずか、このテーマで私のところに話が来るというのはなかなかのプレッシャーです。
これで猟銃所持の身辺調査引っかかったとか、狩猟免許落ちたとかだとかなりカッコ悪い。
番組に出るか出ないかの返事は来週中なので試験結果はまだ出ず。
さあ、どうする。
まあ、試験落ちててもジビエ料理作るかどうかには関係ないので、聞かれたらテキトーにお茶を濁してやり過ごすしかないか。
あー、受かっててほしい。
と、そんな薄っぺらい心配など、実はどうでもよく、狩猟と猟銃の事を勉強し、生きるものを殺すという事を自分ごととする過程の中で一番に思うこととしては、ジビエはただの美食やブーム、害獣駆除という人間の勝手な都合でもない、奪うものと奪われるものという命のやり取りの中で一体私にそんな資格があるのか、ということ。
自然に生きる動物や植物の価値とは何だろう、その命を奪う人間とは一体何か、ということばかり考えてます。
自然の生き物の価値、それは即ち死であり、生き物が死する事で他者を生かすこと、ではないかというのが暫定的な私の答え。
山の中で朽ち果てた生き物は腐り、ウジが湧き分解され、土に還り、他者の栄養分となり、循環していく。
人間に狩られた生き物も余す事なく食べられ、活かされ循環の一部となるべきだと。
だからこそ、無駄にすることなく料理されなければならない、と思う。
結局、私の中で全て食品ロスに繋がっていくのです。
しかし、貪るだけの現代人が自然に対してどのような形で循環の一部となれるかどうかという問いの答えは未だに出ていません。