Home > 2019年07月

2019年07月25日

狩猟免許試験

本番でした。

 

わざわざ小田原の合同庁舎まで行って朝から9時から15時まで缶詰。

筆記試験、適性試験、技能試験の3つ。

どれも大したこと無い試験なんですが、とにかく待ち時間が長いこと長いこと。

本を2冊も読んでしまいました。

 

一応、筆記と適性は受かって、あとは技能試験の結果がお盆に出て、受かってれば狩猟免許の交付となります。

ちょいと技能試験でやらかしたんだよなぁ。

大丈夫かなぁ。

 

 

今日の合否出る頃には公安の身辺調査も終わるか。

無事通れば、今度は射撃の試験があり、それに合格すればやっと山に入って猟が出来ます。

なんとか今シーズンに間に合いそうです。

 

2019年07月24日

どえりゃあ、うみゃあでよ

名古屋弁で言うとそんな感じです。

 

 

鹿児島のイノシシ。

これはロースね。

鹿児島の弟子から

イノシシが3頭きました。

 

土曜の朝に畑に行って旨い野菜を食べようと親子3頭で仲良くピクニックしてたら捕まった模様。

残念ですが、美味しく頂きましょう。

皮は三頭分となると相当な重さになるので剥がしてもらい、内臓は事情によりハツと気管支と肺だけ。

本当は皮貰ってまた鞣して在庫の皮と縫い合わせてイノシシカーペットにしたいのですが、仕方ありません。

気管支と肺は人間用にはハードル高いのでウィーちゃんが美味しく頂きます。

 

レストランでロースとヒレ、ターブルオギノチームで他の部位を加工してもらう事にしました。

 

いやー、自分で言うのも何ですけど、巨大なイノシシ三頭送って貰っても、鮮度のいいうちに速攻で加工出来る規模感があるってのは良いことです。

 

レストランだけなら三頭使い切るにはバラして冷凍して加工して二カ月はかかるでしょう。

 

食品ロスや田畑でのロスや害獣のロスに向き合う中で、自分たちの手で加工して商品作って自分たちで売って会社組織として回して行く、という流れを経験しないと各所の問題点なんて自分ごとには絶対になりません。

逆に言えば、私達だからこそ川上から川下まで見渡す事が出来ていると言えると感じています。

私たちは自分達の言葉で語る事が出来ます。

 

 

先日、国連SDGsの食品ロス削減目標の項目の中に、

食品ロスを削減する為にもっと料理人のスキルを活用するべし、

との文言が入ったと伺いました。

生産され、どうしても余る食材に対して料理の技術、いわば加工による付加価値こそが食品ロス削減の近道だという事です。

生意気なことを言いますが、やっと時代が追いついてきたか、というのが正直なところです。

私たちは10年前からずっとブレずにこの問題に同じアプローチで取り組んでいます。

サステナブル〇〇という使い古されたワードの新しい食材もいいけれど、絶対に忘れてならないのは、それらチープなサステナブルを語る前に無駄な食品を出してはならないという事です。

サステナブルという概念だけに引っ張られた口当たりと耳障りの良い活動ばかり追い求めればそれはサステナブルではなく、もはや人間がなにか新しいことをすればサステナブルなどあり得ません。

しかし、食品ロス削減はやればやるほどサステナブルに直結します。

 

食の業界が何をしなくてはならないかを突き詰めて考える時、私は新たなサステナブル〇〇などでは無く、食品ロスに本気で取り組む事が持続可能な食への最短距離だと信じてます。

 

私自身の場合、それ以外にこの業界に存在意義はないと断言していいと覚悟を決めています。

なんとか復活

点滴ぶっ込んで無理やり復活。

 

T師匠が入院されていると知り、差し入れを持ってお見舞いに。

 

なにを差し入れたかは秘密。

ご本人のブログにて。

 

 

 

なにやら

原因不明の高熱にやられております。

先週末からずっと39度オーバーです。

 

滅多に行かない病院から貰った解熱剤も効かず、ボーっとした頭とドヨーンとダルい身体を引きずるようにフラフラ過ごしていたら、師匠が入院?!しかも、某畑病院?!

自宅の近所の病院では良くなる気がしないので、今日は某畑さんに行こうかなと思っていたところに師匠が入院。

これはやはり豚足もって行かないといけないですね。

 

 

2019年07月21日

タイミング良く

今日は選挙です。

日々の買い物という投票行為を積み重ねて未来へ繋がる選択を日々したいものです。

何を買うか、何を買わないのか。

私達の選択に見えない犠牲があるとすれば、直視し、考え、議論し、今夜の夕飯の買い物という投票行動からでも世の中は変えられると信じています。

 

https://miraimedia.asahi.com/tairyohaiki/

選挙ですね。

選挙に行ったらドリンクとかサービスします、って言う飲食店があるとか?

 

それっておかしくないですか?

持っている権利を行使しただけであり、それを集客に使うというのは私には理解できません。

しかも、その店を褒めそやして、いいね!みたいになってる状況ってかなりヤバいと思います。

言葉が悪いですけど、お客さんを馬鹿にしないで欲しいし、お客さんを甘やかさないで欲しい。

投票は平等な権利でしょ?

参院選もいいですけど、日々の買い物がもっと重要で身近な投票行動だと思うのです。

何を買って、何を買わないのか。

簡単に手に入るモノは簡単に捨てられる。

こうやって集客や売上がほしくて、聞こえのいいサービスホイホイを色々し尽くした結果が今のブラック労働で大量ロスで出口のないデフレな世の中です。

 

 

選挙というテーマについて考えるとき、例えばパタゴニアが選挙について考えるために店舗を一斉休業するという事と、飲食店が投票した人にサービスするというのは、本質的に意味合いが全く違います。

 

こうやってまた私は嫌われていく。

2019年07月19日

公安から

身辺調査が入ってます。

猟銃所持に関して、荻野はどういう人間なのか、根掘り葉掘り聞いて回り、私の過去をほじくり返し、人間が人間を査定します。

ちなみに自分でも初めて自分の名前で検索かけるエゴサーチっていうんですかね、それやってみたら、興味深いワードがありました。

荻野伸也 結婚

荻野伸也 逮捕

誰ですか、こんなワードで検索した人。

まあいいや。

 

 

勿論、鉄砲は危険なモノなのでそれなりに良識ある人間でなければならないのは理解できますが、何かコトを起こそうとするならば手間がかかり、アシの付きやすい鉄砲なんて使いません。

人やモノを破壊しようと思うなら車でもフライパンでも片手鍋でも、もっと手軽に包丁なんてどこでも売ってますし、うちのレストランだけで50本くらいあります。

 

銃というものにここまでの制限をかけるのは一体何が問題なのかと思ってしまいますね。

 

役所でもらう身分証明書なる書類や個人情報丸出しの提出資料の中にあって住民票にはマイナンバーの記載が無いものに限る、とかいう意味不明なシステム。

そして書類揃えて持って行ってもマニュアル的な質問があるらしく、ネチネチと色々聞かれます。

とにかく手続きが面倒で心が折れるようになってます。

これを毎年同じように警察通っていちいちやりとりするのかと思うと心が折れそうになるけど思うツボにハマりたくないので頑張ってみます。

 

ここで一つ。

面倒くさいとは一体何か。

業者さんにメール一本すれば翌日には規格品と見まごうばかりの鹿肉が到着する東京において、わざわざ狩猟免許とって鉄砲持って山に行くなんて馬鹿なの?

という至極真っ当な問い。

明らかに非効率で儲かるわけでもなく、さらには公安からも一定のマークを受けてまでやる意味があるのか、と家族にもチクリと刺されました。

 

それは畑も同じ事で、オオゼキでナスなんて幾らでも売ってて、何なら投げ売り状態で見切り品の棚にも置かれているような食材溢れる東京で働きながら藤沢で畑やる意味や作柄で一喜一憂なんて面倒くさいから普通はありません。

 

本屋に行くのが面倒臭くて、本屋に行かなければ出会えない偶然の発見や書店員の生の声、世の中の動向などは、面倒臭くないアマゾンの誘惑には勝てません。

小銭が面倒くさくてキャッシュレス。

食事すらも面倒臭いので完全食のドリンク。

挙句にはウチの若いヤツらは恋愛さえも面倒臭いらしい。

面倒臭いとは人間臭いとイコールではないか?

穴掘って埋めるビジネスから、あらゆる面倒臭いが虱潰しに探されて、面倒という人間臭さを消すファブリーズなビジネスが立ち上がり、この世の人間臭い事が全てなくなった世界を想像する事は出来るのでしょうか。

 

 

 

いきなり暑い

 

太陽が顔を出して暑くなると、決まってウチの犬は日向に出てハーハーハーと息切れしてます。

 

飼い主に似てバカなんでしょうか。

 

 

2019年07月18日

悲劇

史上稀に見る日照不足により、私の畑のズッキーニとナスが壊滅。

やはり不気味に沈黙していたナスは太陽が出てくるのを待っていたのでしょう。

ズッキーニは完全に雨にやられましたが、

サツマイモや里芋などの根菜はそんなこと知らん顔してスクスク育ってます。

 

ああああああ〜、アナタ達、ごめんよ。

という何とも言えない気持ち。

心機一転、ナスとズッキーニの畝を潰して耕し、草と蔓を緑肥にしてツルムラサキとキュウリを植えておきました。

 

 

ニュースでは天候不良で夏野菜が値段が上がる、家計を直撃!、もう大変!

ある地域で取れなくても別の産地から取り寄せれば市場はとりあえず回っていきます。

そこで頑張っても出荷出来なかった農家の絶望感は綺麗サッパリ切り落とされ、吹き出した血は家畜の断末魔の叫びと同様に蓋をしてなかったことになります。

 

その中でもなんとか出来て出荷された野菜達が高くなることは悪でしょうか。

 

天候不良で数が少なくなれば値段が上がり、天気に恵まれて数が多ければ安くなり、値段がつかないくらい沢山できてしまえば出荷すらもせずに畑に捨て置かれるか加工品に回されます。

 

ここに資本主義の限界があります。

お金とはある種、手間や時間を買うということですが、工業製品と違う自然相手の農業はコントロールできず、人間の都合などには完全に無関心です。

自然を切り開いて食べ物を作る農業に経済感覚を持ち込み過ぎれば誰もやらなくなるでしょう。

 

ある物をありがたく料理するというシンプルな事が最近は難しいと感じるようになりました。

料理人の仕事とは、一体なんなのでしょう。

 

« Previous | Next »