2019年06月16日
トライアスロンとは何か
今夜のディナー、某ッポンギ様ご来店され、
さっき、レースでサクッと優勝してきたわ。ぐへへ。
と、サラッと言ってました。
何という爽やかさ。
余裕のよっちゃんイカとはこの事か。
某氏にとって自転車ロードレースとは一体どういうものなのだろう。
おそらく他者に勝つための勝負であり、身体と自転車という機材を使ったゲームでの勝利の美酒の味なのでしょう。
ゲ、ゲームとな…
畑は少し違いますが、私にとってのトライアスロンとは、3.8キロのスイムで使い物にならなくなった上腕二頭筋であり、180キロのバイクで引き攣るフクラハギであり、最後のフルマラソンの20キロすぎ辺りでおかしくなった内臓から吐き出される大量の胃液と未消化のかんころ餅の味なのです。
そう、私にとってのトライアスロンとは他者に勝つというものではなく、自分をイジメて痛めつけて死にそうだと弱さを実感し、ヨダレと胃液が混じったスポーツドリンクを吐き続け、神聖なギロッポンジャージを鼻血まみれのゲロまみれにし、酸っぱいオイニーを撒き散らしながらおんなじペースっぽいオジサンと傷を舐めあいながらお互いを慰めながら走るという超カッコ悪いプロセスに全てが詰まっている。
だとすると、今年こそ更に深く経験したいので、よもや練習なんてしたしまったらせっかくの苦しみが緩和されてしまうではないか、ぶっつけ本番すればあの地獄のような苦しみをより深く味わえるのではないのか。
そのために積極的に練習を拒否し、なまりになまっただらしない肉体と精神で臨んでこそトライアスロンの厳しさや苦しみを理解できるはずなのです。
この境地に達するまで10年もかかりました。
10年もすればベテランの域に入るでしょう。何でこんな大切な事に気がつかずにすき家の鰻丼食べるためにヒーコラ自転車漕いで調子に乗っていたのか。練習したら負けなんですよ。
すでに3年連続リタイヤという不名誉を晒して、これ以上怖いものなど何もなく、お客さんも家族も誰も応援などしてくれず、またどうせリタイヤでしょ、時間と金と無駄な体力使ってやる意味がわからない、何でそんなことやるの?馬鹿なの?家族やスタッフが可哀想だ、などと思われているじゃなかろうか、そんな孤立無援に身を置き、さらにとんでもなくツライ状況で完走したらどんな感動が待っているのだろう。
今までで一番苦しくて死にそうで辛かった。
という有終の美を飾りたい。
隠れてコソコソ練習してると思われるのも癪なので去年のレース後から今日までの通算練習量は
スイム 0m
バイク 100キロ弱
ラン 25キロ弱
一週間ではなく、約1年間の練習量です。
なめてんのか?
とのご意見はごもっともです。
私はトライアスロンをなめてないのです。
トライアスロンを愛するからこそ、練習して身体を鍛えて万全の状態ではなく、真逆の状態で完走し、その本質である圧倒的な苦しみと自己とのせめぎ合いを制したい。
それこそが根性試しとしてのルーツを持つトライアスロンというスポーツの本質ではないのか。
練習してしまったら身体が強くなって余裕のよっちゃんで走れてしまうではないですか。
それではあまりにももったいない。
だから、私は練習に逃げず、練習という精神安定剤を使わず、地脚と基礎体力だけで真っ向からタイマン勝負です。
そんな哲学こそが真の意味でのトライアスロン選手のあるべき姿だ!
こんなに練習やったぞアピールは邪道である!
五島の大会なのに宮古島大会の完走Tシャツ着て会場入りするのは何アピールだ!
そんな奴はトライアスロンの本質から逃げている!誠にけしからん!
と、一分の隙もないロジカルな言い訳して明日は波が相当デカイので、チーム辻堂で朝からサーフィン三昧してきます。