2019年06月14日
久しぶりに熊肉食べましたが、イメージしていた熊肉とは異なり、かなり優しい。
悪い言い方すれば物足りない。
メソッドとして確立しているフランス料理の性格上、どうしても赤ワイン煮込みの基準となるのが牛肉ですが、それと比べて肉の味わいが濃いものの、熊肉と言われなければわからないほど癖や臭みがない。
コレ、熊なんですよ、北海道の羆なんですよ、癖がなくて旨いですよね
というのは、
よく聞くセリフで
この菓子は甘くなくて美味しい
というのに似ています。
青首鴨は嫌いだけど、ビュルゴーの鴨は美味しいと言ってるのと同じです。
熊の味がしなくて美味しい、というより
おおお、コレが熊だ、これだよこれ、この独特の匂いがやっぱ熊だよね
というのが正解です。
ちゃんと熊を食べたことが無ければ、一度体験しなくては何も始まりません。経験が無ければ比べる対象が無いからです。
今時期だからなのか脂もギットリではなくスジがゼラチンに変わってしっとりとしています。
首肉と肩肉という焼いても食べられない硬い筋肉だからでしょう。
肉にパワーが足りないのでソースに破壊力をもたせます。
それにしても、これから梅雨と夏になるのに、こんなギトギトな煮込みが出るのだろうか。
とりあえず美人ボンテージ女医さんや、最近出席率悪いサザエさんあたりに押し売り決定。
現在煮込んでますが、なかなか柔らかくなりませんね。
月の輪熊や羆は狩猟対象として狩猟期間中はハンターの獲物となり、それ以外の期間も捕獲資格のあるハンターによって捕獲されてます。
アイヌでは熊は神とされており、頭と心臓は神棚にあげておくそうです。
心臓には独特の切り込みを入れます。
鹿も地方によっては神の使いとされてますね。こういうアニミズム思想が私は大好きです。
神を食うのか、と言われれば答えに困りますが、理屈としては食べるべきだと思います。
先日、動物愛護管理法が改正され、犬猫などの愛玩動物に対する扱いが厳しくなりました。
それは逆の見方からするとハンター達に対しての誤解や偏見を生む土壌になるのではないか。
ペットは手厚く管理保護することが家畜への無関心や狩猟対象に対する薄っぺらい動物愛護思想を押し付けられることを助長する気がしてなりません。
守られる生き物がいる一方で狩られる対象として見なされる動物や家畜として生きている動物の気持ちは一体どういうものなのか。
彼らにしてみれば保護対象か愛玩動物か経済動物か害獣かと勝手に線引きされ、例えば狩られる害獣側の心理としては、本質的に自然環境と生態系を維持改善していくつもりならば駆除する動物は私達ではありませんね、その動物をそっと教えますからそちらをお願いしますよ旦那、とでも言われそうな気がします。
それが熊であっても魚であってもシカであっても私達に出来る事の原点は食べられるだけを頂いて、残さず美味しく食べる一生懸命さであると考えます。