2019年05月30日
久しぶりに
ソーセージを仕込みました。
ナイフで切ったら肉汁ドピュドピュ系です。
しかし限界まで水分入れたので日持ちしません。
今週の土日で出し切る予定です。
土曜日からは前菜お任せになるので、外角ギリギリの攻めたこういう仕込みが出来ますね。
これは先日仕入れた丸ごとの豚の前足全部、
40人前くらい出来ますかね。
皿の上に乗ってる料理は結果でしかありません。その料理を食べてわたし達は評価されるわけなんですけども、そのプロセスにこだわりたい。
ひき肉やひき肉用のパーツをソーセージ作るために買えば一直線でソーセージになります。
枝肉で買うと、前足はソーセージ、バラの後ろはベーコン、前バラはスペアリブ、モモ肉はハムとテリーヌ、クビはリエット、みたいな試行錯誤と推敲があります。
これは皿に乗った時には見えないプロセスです。
こんな事が出来ても別にどうってことはございません。
しかし、山頂に立つ目的と結果は同じでも雪山と夏山では意味合いが異なり、クラシックルートかバリエーションルートかで登山者に流れる思想は違います。
一通りを体験した人間が改めてその文化の原点に立ち返るとき、そこに新しい気付きを見つけられるはずです。
何事も合理性を重視して効率を求めることにに慣れてしまうと、気づきのチャンスも同時に放棄することになるような気がしてます。
それが原因で行き詰まりを感じていた、という事に気がついたボクちゃんは大変賢い。