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2019年02月10日

ヤバイ

今読んでる小説が面白すぎて仕事が手につきません。

 

こんな本は初めて、いやダンブラウンのロスト・シンボル以来か。

しかも、あろうことか恋愛小説なのです。

 

ゴリゴリの恋愛小説。

 

そして、ボーイズビーみたいなチャラい内容でなく、大人の恋愛ものなのです。

 

決して、新婚の国見さんには読ませられない。

 

昨日買って、もうすぐ読み終わります。

 

これはすごい本だ。

とんでもない本

これまたとんでもない本に出会いましたので、長文です。

暇な時に読んでください。

 

 

 

弊社、新人研修でヒッチハイクをやってもらいます。

そこには質問力などの雑談力、危機回避能力や他者との関わり方、感謝と幸福の関係性などを勉強し、最終的に成功体験を積むということを目的としてます。

ヒッチハイクを拒否するスタッフもたまに居ますね。ヒッチハイクするくらいなら店の掃除でもした方がマシです、ってな具合です。

まあ、それもいいでしょう。

 

私が若かった頃にパリからマルセイユまでヒッチハイクした事があります。

フランス語も大して話せない頃でしたので、そりゃまあ大変な苦行でしたよ。

英語も話さないトラックの運転手さんがドライブインで奢ってくれたカエルの山盛りフリットは忘れられない味です。

あの頃まだグルヌイユは庶民的な食べ物だったんだよなぁ。

 

 

 

普段、自分で切符買って予定組んで予定通りに目的地に着くという予定調和に慣れきった若者にはヒッチハイクの意味合いなど理解されないかもしれません。

ヒッチハイクとは、主導権を相手に委ねるという予定不調和の世界に身を投じるということです。

例えば、登山は天候が悪かったら、そこで止めて帰ることが出来ます。マイペースで登頂した後はカップラーメンでも食べて陽のあるうちに下山すれば良い。自転車なら途中で帰って来れば良い。

しかし、ヒッチハイクは乗せてくれる人が居なければ前に進むことも帰ることもできません。

まあ、リタイヤして高速バスなどにのってしまえば予定調和で終われますから、どうしてもの時はそうすれば良い。それについて咎めることはありません。

要は他者に自分という存在を委ねるためにゴソゴソと自分を売り込み、ニタニタと機嫌を取り、あたーすと感謝、という事を繰り返す、まな板の鯉になってピチピチ飛び跳ねるて来る行為なのです。

ヤバそうなヤツは乗せてくれないでしょうし、乗せても会話が続かなければつまらないヤツだ、次のパーキングで降ろしてしまえ、などと簡単にできてしまうわけです。

そこを上手く切り抜ける事が出来ると何とも言えない自信につながると確信しています。

特に海外ではオープルマインドなやつの方がなにかと有利で楽しい日々を過ごせるような気がします。

私は下手なりに自分が何故マルセイユに行きたいか、何を求めてフランスにいるか、日本とはどんな国かを一生懸命説明して時間を稼ぎました。

今となってはいい思い出です。

 

 

自分の生活のサイクルや次元の違う世界に足を踏み入れたショーン・エリスというイギリス人の話。

狼の群れと暮らした男

 

 

こりゃ、とてつもない本です。

私はこの話が本当か?と、信じられませんでした。

犬やキツネが好きだったエリスが犬の祖先であるオオカミの群れに入り込むという、ルポルタージュ。

動物園のオオカミのエリアに座り込む事から始め、最初は遠巻きに見ていた狼たちがだんだんと近づき始め、何週間かたったあと、いきなりタックルされ、膝の肉を噛みちぎられ、身体を押さえつけられて鋭い犬歯で首元を襲われます。

なんとか立ち直ったものの、そのような耐え難い苦痛が何日も続きます。

少しづつ噛む力も回数も減って来たあたりに狼たちがエリスに身体を擦り付け、匂いを付け始めます。

この時、エリスは自分が群れに入り込めたような気がしたと言っています。

エスカレートしたエリスは野生の狼の群れに入り込むことを決意し、ロッキー山脈にたどり着きます。

動物園のときと同様、野生の狼の群れの縄張りの真ん中に裸一貫で座り込み、動物園の時とは比べものにならないほどの苦痛と怪我を見舞われます。

全てを相手に委ね、似て非なる壮絶なイニシエーションののち、狼が仕留めたアカシカの脚を群れのボスと思しき狼からもらう事で群れの最下層として認識されます。

寒さ厳しいロッキー山脈の冬を群の中に入って身体を寄せ合って温め合い、ハンター役である狼が仕留めた獲物の生肉を食べ続け、いつしか群れの中に安心感を感じるようになるエリス。

この時点で奇跡的な体験をしていると思われたが、更なる奇跡を目撃することとなります。繁殖期を迎えた群れではオス達が子孫を残すためのメスの奪い合いが頻繁に起き、エリスにも凶暴に飛びかかり、痛めつけられ、身体中を噛みちぎられて瀕死にまで追い込まれつつ、なんとか狼の出産のタイミングに立ち会います。

何日かして赤ちゃん狼が巣穴から出てくると、母狼は既に群れのヒエラルキーを子狼に教育を施しており、嬉しそうに飛び回るオス狼に匂いを嗅がれ、舐められしている最中、エリスの所に来た子狼は、乳母役の狼に見せる餌を要求する仕草を人間であるエリスに見せるのです。

母狼はエリスを群れの一員としての教育もすでに行なっていたのです。

この時、エリスは本当の奇跡を体験し、人生観を変えたと言っています。

 

 

 

ーー私はこの生命力と養育の尋常ならざる光景を目の当たりにするにつけ、過去2年間かそこらにわたり驚嘆すべきこの家族に受け入れられたことの光栄をしみじみと感じざるを得なかった。

そして今ここで二匹の赤ちゃんが人間の顔を噛んでは食べ物を噛み砕いて吐き出せとねだっているのだ。私は奇跡を目撃したのた。ーー

 

 

 

こうした意味からもこの本は人間の言葉で書かれていますが、狼が書いた本であるとも言えます。

人間でありながら、狼の視点で世界を見た世界的に見ても唯一の存在です。

 

何ごとも人間の視点、もっと言えば自分のみの視点で物事を考えるだけでは見えない世界や想像できない位相が存在します。

対人間であってもイマジネーションの欠如が際立つ現代において狼に限らず、普段からは思いもよらない視座に立つことで理解、想像する重要性、恐怖感、面白味はネットにはない体験となるはずでしょう。

それこそが生死の境目が希薄になって予定調和の枠組みの中でしか動くことのできない、予定不調和にストレスを感じてきはしてしまう現代人にとっての処方箋となるはずです。

 

 

狼は忌避され、怖れらる存在でありながら、その生態は謎が多く、解明されているとされることも間違いであったことも証明されました。

身体に子を宿した後、自然環境の厳しさに我が子が耐えられそうもないと母狼が判断した時点で胎児は母狼の身体に吸収され

生まれても体の弱い狼に対しては育児を放棄し、生きられる個体にのみ餌を与えることは残酷に思えますが、自然が教える厳しい教訓としてそのDNAに刷り込まれています。

遊びで殺しをせず、食べる以上の殺しはしない肉食動物の生態から我々が学ぶべきものは多い。

 

群れから離れ、人間界に戻ったエリスは保護狼の教育と繁殖、そして最大のテーマである野生に還すプログラムを現在も続けており、狼の子孫である犬の訓練なども精力的に行っています。