2018年12月10日
御堂筋母から
見たほうがいいよ、ではなく、
必ず見てこい。
面白くなかったら、80万のロマネコンティ開けてやろう。
いつも鉛色のスクリーンのどんよりとした暗い映画ばかり見やがって、お前の精神は奇形している。
この映画でその右利きのチンコみたいに曲がった根性を矯正してこい。
と、軽く罵られてシクシク泣きながら行ってきました。
人は誰しもアーティストであり、クリエイターであり、表現者である。
音楽であれ料理であれ登山であれ自転車であれ、全ては表現行為であって、人間は皆、表現の欲求を持っている。
たまたまその男にとっては音楽だっただけことである。
成功するに連れて孤独になり、それに気がつき、悔い改めた時には余命がない事も知る。
残された時間を貪るように世界的なチャリティライブに臨む朝、エンターテイメントの道に反対していた父にゲイである事を告白し、抱き合い、それまで纏っていた派手な服を脱ぎ捨て、代名詞とも言えるタンクトップにジーンズというシンプルな姿で世界に感動を届ける。
インド生まれのその男は、音楽だけでなく、太く短い人生そのものがフレディ・マーキュリーという表現なのである。
人間は死を意識し、内面に取り込む事で初めて生が輝きだす。本当に大切な事はとてもシンプルだと気がつくのだ。
自分に残された時間が多く無いことに気がついた時、その人の真価が問われるとも言える。
そんな映画、ボヘミアン・ラプソディ。