2018年10月26日
その人との出会いは、アウトロー小説、もしくは自由に飛び回る冒険家のノンフィクション本との衝撃的な出会いに似て、いつまでもその主人公の生き様を追いかけてしまうような、憧れ、嫉妬、尊敬、崇拝、とにかく圧倒的な出来事で、その後の人生をまんまと狂わされました。
無駄なものを徹底的に廃して味を極めた機能美ともいうべきその佇まいは今も私の料理軸として深く深く刻まれています。
完璧とはこういうことか、と。
今も私の中で、最も大きな人跡未踏の山のような存在です。
そして誰も登頂することの絶対出来ない山です。
Tシェフ、由美さん、9周年誠におめでとうごさいます。
山頂は遥か遠く、見ることすら出来ておりません。
11月1日2日の連チャンでニュースシブ5時!
で筋肉料理のオンエアがあります。
あるはず。
地震や台風や安倍さんで延期になりましたが、今度こそ流れてくれると思います。
おそらく17時50分くらいかと。
私も仕上がり見てないのでなんとも言えないですが、面白くなってると思います。
是非録画してお楽しみ下さい。
2018年10月25日
食関連に従事されている方向けにお知らせあります。
ちょっと面白い話です。
私のフェイスブックにて告知と募集しますので、フォローお願いします。
伸也荻野で検索してください。
RXジャージ着たイケメンの画像の方です。
水着ギャルの様な怪しいアカウントでない限り、フルオープンで受け入れてますので、よろしくお願いします。
ウンコが出るように、原稿がブリブリと言葉で埋まっていけば良いのですが、いかんせん答えのない問いに対して問題提起と模範解答を繰り返しているだけなような気がして、やっぱり沢木耕太郎は天才だな、と思う今日この頃。
料理とは動物としての人間が、言葉を生み出す遥か前に於いて、調理するという知恵を体得した時点で、ほかの動物とは違った進化を遂げた証明みたいなものであると思います。
人間としては原始的であり、動物としては先進的な行為でした。
そこから長い時間かけて体系化され、今では芸術の域にまで達する表現方法となりました。
食べると言う行為は生理的な欲求であるものの、その食欲という欲求を満たすと言うだけは十分でなく、さらに美味いものや、その時の気分で選びとる文化的なものへと変化してきました。
料理が文化的な営みであると同時に、作り手である料理人はその主観をもって最上のものを最適な方法で最善のタイミングで食べてもらいたい、と考えるのですが、受け手となるお客さん側も主観で受け止めるために、いつまでたっても両者の主観が完全に一致することはなく、交わったり離れたり平行線を辿ったりするわけです。
答えのない問いというのは、主観のぶつかり合いだからであり、所詮は最大公約数を探す旅みたいなものだからなのです。
そこにきて基本的な料理の本を書くと言う事の意味はなんなのでしょうか。
私が基本だと思ったとしても、他の料理人には大したことではないこともあるわけで、一体何を基準点に据えたら良いのやら。
料理に完璧なし。
2018年10月24日
原稿がスイスイ書けてます。
怖いくらい書けてます。
昨日読んだ沢木耕太郎大先生のお陰です。
でも、だいたいこういう時は後から見返すと恐ろしくつまらない事が多いですね。
はやり、自分の言葉で書かねばだめです。
さて、今日から秋シャケ料理です。
秋シャケは脂が少なくてあまり人気が無いのです。
先日、アイヌコタンに伺った時、ちょうど鹿児島からイワシの丸干しの生産者さんも来ていて、面白い話を伺うことが出来ました。
脂がのっていることが良しとされる日本ですが、丸干しにするイワシも、鮭トバにする秋シャケも脂はほとんどなく、市場では安いです。
しかし、逆に脂が少ない方が干物には向くのだそうです。
脂がないので酸化しにくく、嫌な臭いも出ない。
味も脂が無い方が素材の味が出て旨いとの事。
図式とすると和牛と赤身牛肉と同じか。
今回はパン粉焼きにします。
2018年10月23日
沢木耕太郎って、深夜特急を40歳そこそこで書き始めたんですね。
ほとんど僕と同じ歳。
僕は、僕ら世代はこんな風に熱い時間を過ごしているのだろうか…
私が先日眠気で死にそうになりながら運んでバラしたイノシシ。
7時間半ですよ!
7時間半!
ロースとヒレと呼ばれる部位は70キロのイノシシでたった20人前しかとれません。
この、まな板に乗ってる部分だけです。
そこで、
おほほ、そりゃ大変だったな。
そうか、ロースってそんなに少ねえんだな。
知らなかったわ。
このストーリーに共感してくれるお客様20名様限定で明日明後日でそのロースとヒレを食べて頂きたいと思います。
題して
恩着せがましい、恩に着せまくるイノシシロースディナー。
あ、別にこの期に及んで特別料金をボッタクろうなどとは思ってません。
通常料金です。
これは胴の部分。
このほんの一部がロースとヒレです。
今回はオスなので、肉の味が濃く、破壊力あります。
モモ類はすべてスモークハムにしまして、チビチビとシャルキュトリー 盛り合わせみたいな感じで出していこうとマリネしちゃいました。
スネやバラ肉はコンフィにしてカスレとかキャベツと煮込んで出そうと思い、こちらもマリネしました。
恩着せがましいディナーは、すでに予約サイトで20カウントで予約受けておりますので、ドシドシお越しください。
当たり前ですが無くなり次第終わりでサイトが締め切りになります。
なので、私はヒレ!
俺は脂少なめロースの後ろの方!
っていつもみたいな事が出来ませんので悪しからず。
そう、当たり前は当たり前ではない、ということが身に染みて感じた私なのでした。
秋の料理でした。
なんと、キャンセル待ちも出るほど満席でした。
しかも全員女子。
良いですねー。
来月はクリスマス的なパーティ持ち寄り料理って事で、自家製ハムやらパプロバやらヴァンショーやらをスガちゃんがやります。
私は12月に、冬料理やります。
さてさて、これから畑行ってきます。
2018年10月21日
捨ててました。
でも、わたし達の革の財布はどうやってできるでしょうか。
という事で、イノシシの皮をなめしてみます。
流石になめし業者さんにお願いするのですが、仕上がったら、みんなで手作り財布かブックカバーでも作りませんか?
ウチのお客さん含め、スポーツで身体を鍛える事は本来の自分、動物としての自覚を取り戻す行為であると先日書きました。
これは非常に良いことだと思ってます。
山を登ったり、自転車を漕がという二足歩行動物の原点である走るという行為から派生したスポーツをし、荒れる波にサーフボード1枚隔てることで自らの身体に自然を感じる。
アウトドアスポーツという外的な自然を感じると共に、自らの身体という内的な自然を感じているのです。
自然を感じたいからみんなスポーツをするのです。
本能として持っている部分を現代人は忘れてしまった結果、それを取り戻す行為なのです。
フードロスも同じ文脈であり、生産者が作ってくれているということ、そして命を食べてわたし達は生きているという事を忘れてしまった。
それこそがフードロスの本質です。
生きるという事は食べる事であり、食べるということは何かの犠牲の上に成り立っています。
では、それを取り戻す行為をしなくてはなりません。
これはなかなか複雑で入り組んだ問題がさまざまな方向から絡み合っていますが、本質がシンプルなだけに、答えもシンプルです。
みんなで畑をやりましょう。
小さな家庭菜園で良いし、高層タワーマンションで現実的に難しければ、ベランダにプランターを置きましょう。
そこでミニトマトやバジルを作ってください。
トマトが出来たら小麦粉でピザ生地作って、家でマルゲリータ作ってください。
もしくは中古の釣竿買って、お子さんとハゼ釣りに行って下さい。
ご飯粒でもバンバン釣れますから、食べ切れそうな分だけ釣ったら、それを持って帰って小麦粉つけて油で丸ごと揚げてください。
塩とレモン絞ってみんなで食べてください。
どんな三ッ星レストランで食べるより、旨い食事がそこにあります。
お金で買っているということは、自分が食べるものを人に作ってもらっているという事です。
要するに、他人事なのです。
自分のことなのに、他人事なのです。
畑をやりましょうというのは、
他人事を自分ごとにするという事。
これこそがフードロスの本質です。
美味しい食事を考えることは命を考える事であり、大切なのは食べ物がどうやって出来るのかを知る事です。
そして感謝すると言う事です。
もちろん、綺麗事だけでは済まされません。
そのために料理人と、家庭での料理という行為ができることはたくさんあります。
その辺りはまた次回。