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2018年07月08日

旨そうに食うね。

匂いは鯉の餌っぽいですね。

 

こんなに旨そうにフガフガ言いながら喰われると、こっちまで食ってみたくなるわ。

 

でも、ここより先に行ってしまうと後戻り出来そうもないのでやめておこう。

 

 

個性とは何か

どんな店で、どんな仕事を、どんな風に取り組んできたか、という部分に料理人のスキルは大きく左右されると思います。

 

加えて、どんな本を読んできたか(どんな勉強をコツコツとしたか)という要素もあるような気がする。

 

別に料理人が書いたレシピ本やドヤ顔本じゃなく、小説でもノンフィクションでもビジネス書でも自己啓発本でもエロ本でもいいけれど、社会に出てから出会う本は職業人としての血となり肉となり、その後の職人としての人格形成に大きな影響を与えると思うんですよ。

 

それはお金貯めてどこへ旅に出たか、ということにも通じると思います。

 

 

どんな分野に興味があって、何を深く掘り下げたかどうか、というのは全体通して見た時に個性として出ているような気がしてます。

 

わざわざ本屋に行って少ない給料から吟味して購入した本を読むというのは、例えばNHKのプロフェッショナルやTBSの情熱大陸を見て感化されるような薄っぺらいモチベーションとは違います。

 

時間の経過とともに仕事としての料理自体は自分の理想とする方向性に向かって彫刻のように削り出すような作業となるように思いますが、やはり最初は良し悪しや好き嫌い関係なく筋トレするようにさまざまな本を読んで、幅広く深みのある知的好奇心を持った面白い人は料理も美味しい。

 

 

本を読まない、旅をしない料理人は、また別次元の話。

 

原稿を書くために

改めて昔の資料やら影響受けた本などを、引っ張り出してきて再読中。

 

 

例えばこの本。

 

今買うと、文庫本なのに1万円くらいします。

 

名著です。

 

 

この表紙、なんか良いですよね。近所のオバチャンがカフェのテラスでプカプカとタバコ吸いながら二杯目のエスプレッソ飲んで早口で職場の悪口言ってるのが想像つきます。

こういうケ・セラ・セラな感じが好きです。

 

 

 

他にも影響受けた本としてラルース・ガストロノミック、プロスペル・モンタニェ、マダム・サンタンジュ、アンリ・ポール・ペラプラなどなど、ザックリとした作り方しか書いてない、現在のレシピ至上主義とはおよそ相容れない本ばかり。

 

フランス料理とは、レシピではなく、理論とかエスプリの料理なので微に入り細に入り分量出すことにあまり意味は無いと思うんですけどね。

 

 

現在では少しでも仕上がりがちがったりすると、プロ向けの本であっても普通にクレーム来ますが、季節や産地によっての素材の差異や調理機器のギャップなど、およそ数値で測れない、言ってみれば天気みたいな要素もズレることが許されません。

 

日本人が日本で日本人顧客の為につくるフランス料理だからこそ、レシピよりも理論とエスプリが大事だと思いますが、それが本に反映されるかどうかは料理自体よりも私の筆力なんでしょう。

 

温故知新。

先人の言葉をかりつつ、いつの時代にもマッチする本にしたいものです。