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2018年06月15日

無意味な緊張と余裕のあいだ

去年の敗退からずっとずっとこの日を迎えることを考えてました。

 

 

楽しみとか恐怖とかいう感情では無く、シーシーしてもとれない奥歯に挟まったパイナップルのカスのような、爪楊枝でも簡単に取れないホタテの小柱のような、イキそうなのに寸止めされるような、出し切ったはずなのに残っているような、いつも感情の奥底でネッチョリと滞留し、ドピュッと全部出したくてもどこか引っかかってスッキリ出し切らないでいるこの行事。

 

昔は死刑執行を待つ囚人の気分でしたが、近年は幾分そうした余裕が出たのかもしれません。

近年、その無意味な余裕が結果にでてるんですよね。

 

 

 

レースといっても、誰かと競う事が目的ではなく、自分で決めた何がしに対して自分が勝手にプレッシャーを感じる、心がざわつく、ムラムラして勃起する、感情に反して勢いあまって射精する、そんな感じです。

 

これから登るであろう巨大でそそり立ったイチモツの様な山、亀頭のカリのようなオーバーハングの岩壁を見て、あそこまで行くのか、いけるのか?

という感覚に似ています。

 

今年、完走できなければトライアスロンから足を洗うと決めていることもあります。

 

そうなったとしても、悔いのないの無いよう、RXのジャージで身を包み有終の美を飾って参ります。

 

なんでこんな思いまでして続けるのかはよくわかりません。

いい波を求めるサーファー、自転車に乗るサイクリスト、山屋に意味なんて無いんです。

 

 

 

では、行ってまいります。

 

 

 

 

 

 

“動物が生きてゆくのなら、食物があればいいだろう。食物と、眠ることのできる場所があれば。しかし、人間はそうじゃない。衣、食、住を満たされていれば、何も考えずに、何も行動をせずに生きてゆけるというものじゃない。人間が生きてゆくというのは、もっとそれ以外のもの、もっと高い場所にあるのもを求めて行くことではないか。

単に、長く生きることが、生きることの目的ではないのだ。これは、はっきりしている。人間が生きてゆく時に問題にすべきは、その長さや量ではなく、質ではないか。どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかが、重要なのだ。生は、長さではない。”

 

夢枕獏