2017年04月12日
6月11日に今年の前半のメインレースです。
なかなか難しい状況です。
やると言ったらやる性格なので全力でやりますが、なかなかバイクまで手が回りませんね。
やっと外に出られる陽気になったので、バイク練習したいのですが、やはりランが心配で心配で夜も眠れず、またリタイヤしたらどうしょう、カッコ悪いな、などと枕を濡らしております。
ミドル走やったらやったで疲労がなかなか抜けずに引っ張ります。
そんな時はローラーですが、実走とはやはり違いがある為、参考値にしかならず。
ローラーで100キロ走っても五島のアップダウンには屁のツッパリにもならぬか。
ああ、どうしょう。
焦る。
2017年04月11日
明日の前菜、素晴らしい食材が各地から届いておりますので、そちらで参ります。
まず、カツオですね。
こちらはバジルのクリームを添えまして、洞爺湖の人参、ビーツ2種、大根2種をジュリエンヌという細切りのサラダを添えます。
大根のツマ的な感覚です。昔、トロワグロというレストランでオマールのサラダにそんなジュリエンヌのサラダが添えてありましたね。
最後に奈良のわさび菜とクレソンがピリッといい仕事してます。
次。
こちらも奈良の横田さんから春採れの原木シイタケが来ました。
やはり水分たっぷりのジューシーシイタケらしく、薪ストーブと扇風機で乾かしてから
送ってくださったようです。
気合いを感じます。
そんなスペシャルなシイタケなので、そのまま焼いて出したいところですが、
ここは私も気合入れて、ちょっとひと手間。
熊本から花ズッキーニが到着しましたので
シイタケのムースをズッキーニの花に詰めて蒸します。
仕上げにアマエビのソースを添えた前菜にします。
メインはモリーユ継続中でして、イベリコ豚のベジョータという最上級グレードの肉のソースとして
マデラで煮込んだモリーユを添えます。
個人的には魚に添えるのが好きなモリーユですが、ここは旨い豚で参ります。
春全開です。
本日と、明日、金曜日のディナーにカウンター席
16(日)ディナーにテーブル席に空きがございます!
ご予約お待ちしております。
急に気温が下がってきております。
ご来店のお客様お気をつけてお越しくださいませ。
クリステル
2017年04月10日

動物が肉になるまでの工程ってご存知ですか?
一般の方はほとんど知らないと思います。
そんなところを詳らかにした本書。
個人的には調理師学校の生徒さんはフランスとかに研修旅行とか言って食べ歩きするより、芝浦を見学する方が100倍その後の料理人としての覚悟が据わっていい経験になると思うんですけどねぇ。
ハタチやそこらで高級店を食べ歩きしたってあんまり意味ない気がします。余計な先入観が入るだけ。
食べるということは、動物でも植物でもその命を絶っているという当たり前の事を知る機会が余りになさすぎます。
アレを見たら、絶対に食べ物無駄に出来ないと思いますよ。
私のシャルキュトリの原点はそんなところです。
20年前のNHKの動画見るだけでも良いと思います。
敢えてリンクは貼りませんが、
“人間は何を食べてきたのか”
という動画を検索してみてください。
グロ動画ではなく、カルチャーとしてキチンとした映像です。
トルクスレンチまで揃えてボトルマウント付けちゃうぞ、僕ちゃんのトライアスロンコスプレが極まったぞ、これで練習出来ちゃうぞ、頑張っちゃうぞ、とニコニコしながらネジをヨイショヨイショとクルクルして、外してみたものの、手持ちのマウントがハマらない…
マジか…
ウソだろ…
付属のネジは予備であって、マウント用ではないらしい…
な、なんと…
これでは意味ないでは無いか…
深夜1時までニコニコしてヨイショヨイショした時間を返せ!
専用ゲージ買うのも癪なので、手持ちのミノウラマウントを何とかならねーか的にやってみたら、すんなりハマりました。

見た目の収まりが良いかどうかはこの際置いといて、無駄なモノを増やさずにレースには参加できそう。
この先トルクスレンチは登場する事があるんだろうか…
2017年04月09日

スイスのトライアスロン選手だった人が作ったシューズです。
サロモンのトレランシューズは良かったのですが、やはりトレラン用というニュアンス。
あと二か月、このシューズで練習して本番に臨みます。
モチベーション上がって来ました。
今夜はフィジークサドルにボトルマウント付けてみよう。
そろそろ外でバイク練習を本格的にやります。
決戦用サドルを決定。
フィジークのトライトーン。
しかし!
ボトルマウント装着にはトルクスレンチが必要だと!
便乗商売だな!
アマゾンウハウハだ!
と、罵ってみても星型ネジはテコでも動かない。
ち、ちくしょう…
サドル沼から一旦上陸したと思いきや、ここに落とし穴か…
2017年04月08日
やっと自分の中でストンと落ちる感触がありまして、ここに書評と映画評を書かせていただきます。
沈黙~サイレンス~
スコセッシ監督がここまで小説に忠実な映画にするとは思ってもいませんでした。
~日本という沼ではキリスト教は育たずに根が腐ってしまうのだ~
裏切りを重ね、踏み絵をしてしまうキチジローのことを誰が責められるでしょうか。
想像を絶する拷問に耐えながら殉教していく信者に対し、イスラム原理主義に似た危うさを感じえませんでした。
なぜこのようになってしまうのだろうか。
それは日本人独特の宗教観にあるように思います。
わたしは寺の孫として育った関係で普通の人よりも宗教心が強いのかもしれません。
しかし無宗教を自認する方も最近多いですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
日本人にとっての宗教観とは、キリスト教のような偶像崇拝や経典ではなく、それは山の神、海の神、先祖であり、お天道様であり広い意味での自然崇拝なのです。
例えば噴火を繰り返す富士山の怒りを静めるために周りには神社が数多くあり、山そのものが信仰の対象であり神なのです。
神とは感謝の対象であり、いいことがあればおかげ様、悪いことがあれば因果応報であり、お天道様の下では悪いことはできぬという、内なる神に対する信仰心は日本人であればだれでも持ち合わせる道徳心であると思います。
ギリギリの生活を強いられる中、キリスト教に救いを求め、隠れキリシタンとして激しい拷問に耐える信者に対して神が沈黙するのはなぜなのか、神は沈黙はしていないのです。
他力本願ではなく、それは自力本願なのであり、究極の選択を迫られるクライマックスで語り掛けるのはキリストの声ではなく、道徳心や良心の呵責という誰もが持ち合わせる人間本来の姿、それが内なる神だと思うのです。
フランクルも書いていますが、人間が極限まで追い詰められ、そしてすぐに自分も殺されるとわかっていても、腹を空かした仲間になけなしのパンを譲る人がいたということが本質的な人間の優しさの姿ではないかと思うのです。
そこにキリスト教もユダヤ教も仏教も神道もないのです。
全編通して音楽は一切なし。エンドロールも波の音だけ。
果てしなく重苦しい映画でありますが必見です。
この小説の舞台となった長崎五島に行くたびに、キチジローとガルぺ、ロドリゴ、フェレイラと名もなき隠れキリシタンの殉教者に思いを馳せるのです。